1 2008年 01月 28日
2008年 01月 07日
十代後半以来の「中世ヨーロッパ萌え」再びか、てな状況になっている今日この頃。そういえば以前から気になっていたことがある。
キリスト教権力が強大だった中世からルネサンス期のヨーロッパでは、盛んに宗教画が制作されていた。宗教画というからには、新約聖書・旧約聖書にもとづいた内容、つまり紀元1世紀前後の時代を描いているということになる。なのに、絵の中の人物たちは、作品が制作された時代の服装をしているのだ。 たとえば、ボッティチェリの有名な絵画「東方三博士の礼拝」。イエス・キリストの誕生を祝し、三人の賢者が訪れる場面を描いたものだ。だが、登場人物の服装は、この絵が描かれた15世紀後半のイタリア・ファッションなのである。この絵自体、当時フィレンツェで絶大な権力を誇っていたメディチ家の人々を描くのが目的だったというけれど、わざわざマタイ福音書に書かれている場面に彼らをあてはめているのに、今風に言えば、「モデルさんたちにコスプレさせていない」のである。今見るから、15世紀後半のファッションもじゅうぶんコスプレみたいに見えるんだが、当時の人からしたら、さしずめこんな感じだろうか。 ![]() たくさんの画家たちが描いた聖母マリアについても同様。やはりモデルさんはコスプレしていない。もしかすると当時の人々は、描かれた聖母マリアを聖母マリアとして見ていたというよりは、当世風のドレスに身を包んだファッショナブルなマリアを「モデルはどこどこの令嬢だれだれという噂だ」、とか「あのマリアは実は売れっ子No.1の娼婦なにがしらしいぜ」、とかいった俗な視点からとらえて盛り上がっていたのかもしれない。 だが、十六世紀も後半になってくると、次第に絵画制作年当時のファッションとはずれが生じてくるようになるのがわかる。 聖書中の人物に当世風ファッションを持ち込まなくなっていく時期と、ルネサンス期の終焉・近代の始まりは微妙に重なっているような気がする。 キリスト教支配でがんじがらめになっていた息苦しい世の中で、人々は、そこらじゅうにあふれかえる宗教的な制約や事物のなかから巧妙に娯楽やちゃかしの素材を見つけたり作ったりすることで、ささやかな息抜きをしていたのだろう。だから、聖書上の人物が、やけに身近な、時代考証無視のイマドキな装いをしている必要があったのだし、制作する方も、あくまで正当な宗教的作品という薄衣をまといつつ、潜在的には大衆の心理に応え、あえてみんながツッコミやすい作品を世に出していったのか…… しかし、時代が変わり、教会の勢力が衰えていくにつれて、宗教画や宗教にもとづいた様々なモチーフは、以前ほど人々の生活やメンタリティに影響を及ぼさなくなっていった。そうなるとわざわざ宗教的素材のなかにネタを見いだす必要もなくなっていき、宗教画は純粋に宗教画としての役目だけ担っていればよくなったのではないか……などという妄想が湧いてきたりもするんだが。 ■
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by terrarossa
| 2008-01-07 02:45
| 見聞録
2008年 01月 01日
あけましておめでとうございます。
今年もまた、平気で数か月放置するような事態に陥りそうな気配濃厚ですが ごくたまにのぞいていただければうれしく思います。 ![]() 昨年暮れからちょっとずつ読んでいた「ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界」(阿部謹也著・ちくま文庫)を読み終えた。「ハーメルンの笛吹き男」は、「1284年6月26日にドイツ北部の町、ハーメルンで130人の子供が失踪した」という、実際にあったといわれている出来事が基になって生まれた伝説。130人もの子供がなぜ失踪したのか、その後どうなったのかはわかっていない。物語として有名な、「笛を吹いてネズミを退治」の話は後から付け加えられたものだという。本書は、はるか昔、ドイツの小さな町で起きた出来事が、なぜここまで有名になり、伝説として形を変えていったかということを、当時の社会情勢や人々の生活から探っていったものなのだが、これがもう「中世ヨーロッパ社会史」というお堅い体裁とは思えぬ面白さ。現代ドイツだけでなく、中世ドイツにも入り浸ってしまい、昨年に引き続き、今年も「脳内ドイツ年」になりそうな予感が…… ■
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by terrarossa
| 2008-01-01 00:00
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自己紹介
ハンドルネーム:テラロッサ
身分:社会人(農業関係) 関心事:サッカー、虫、植物、地理、 映画、音楽 時々:絵を描く、写真を撮る、旅行する ハンディキャップ:筋金入りの下戸 座右の銘:結果オーライ 将来の目標:空を飛ぶ ライフログ
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