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2004年 06月 07日
ユジノサハリンスクからポロナイスクへ その1
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 2000年10月末。 
 函館発ユジノサハリンスク行きの便は、アントノフ24型機という古い小さなプロペラ機だった。これでもれっきとした「国際線」だ。
 機体後方の出入口に掛けられたタラップを上がっていく。薄暗い機内は、わざと寒々しさを強調しているのかと勘繰りたくなるような、うら寂しい青灰色に塗られており、古びた円い窓の周囲に打たれた鋲は、何度も塗装を繰り返した跡がついていた。ベニヤ板製の壁は、うっかり寄りかかろうものなら簡単に破れそうなくらい薄っぺらかった。さらに、カーテン生地のようなくすんだ色のシートは横幅に少しの余裕もなく、どう考えてもこの便を運行しているロシア人向けのサイズではなかった。前に並んでいた長身の乗客は、低い天井にぶつからないよう、不自由そうに腰をかがめて歩いていた。
 ほぼ定員いっぱいの、30人あまりの乗客達は、皆無言でぞろぞろと狭い機内へ進み、着席してゆく。西洋系と東洋系の割合は約半々。ツアー客を募集している夏ならともかく、間もなく冬を迎えようとするこの中途半端な時期に、独りでサハリンくんだりへ観光旅行に出かける物好きは滅多にいないはずだ。案の定、大半はビジネス客らしかった。
 短い滑走の後、機体は瞬く間に離陸した。ほっと一息つくかつかないかのうちに、機内食が配られたが、プロペラの振動のせいで、トレイがどんどんテーブルの前方にずれていく。時々トレイを手前に引きもどしながらの食事は、なんだか落ち着かない。

 ふと、後ろに座った二人の中年男性の話し声が聞こえてきた。どちらも日本人で、漁業関係者のようだった。日本とサハリンのビジネスは、水産業に関するものが多いと聞いている。二人は、水産加工会社との取引の事をしばらく話題にしていたが、ひとりが「そういえばね」と声の調子を変えた。
「こないだの遭難事故、まだ三人行方不明になったままでしょう」
「ああ、家族の方はお気の毒ですね」片方が相槌を打つように応えた。
「行方不明だと、生きているのか死んでるのかわからないから、かえって辛いんですよ。気の毒で、見ていられません」
「ええ」
「それほど沖合でなくたって、一日捜索にてこずったら、まず遺体はあがりませんね、このあたりでは」
「そうなんですか」
「いつだったかね、その時も二人行方不明になって、とうとう見つからなかったんです。私はね、そりゃ鱶にやられたんだろうなと思ってたんですよ。北の海は餌が少ないですから」
「津軽海峡にも、うようよしてますしねえ」
「いやそれが、違ったんですよ……その直後はタコが豊漁で、大きなのがたくさん水揚げされてね。で、解体したら、切ったタコの頭から、人間の髪の毛がいっぱい出てきたんだそうです。消化されないで体内に残るんだと言ってました。一番先に嗅ぎつけるのは奴らだったんですよ」
「鱶ではないんですか」
「ええ、だから誰か行方不明になると、そこではしばらくタコ漁はできないとか」
「いやあ、なんだかぞっとする話ですね」
タコの話はそれっきりで、二人は再び仕事の話を始めた。

人の髪の毛を溜め込んだタコが、この海のどこかにまだいる。彼らの話は本当だろうか?
プロペラ機は宗谷海峡にさしかかっていた。オホーツク海の白波が、低空飛行のせいかひどく間近に見えた。
by terrarossa | 2004-06-07 05:02 | 見聞録


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