2010年 08月 22日
さて、ウラジオストクでは無計画に5日間もいたため時間をもてあまし、テキトーに乗車した路線バスで終点まで行って帰ってくるという意味不明の行動を何度も繰り返してしまった。おかげでウラジオストクが大きな都市だということがよーくわかった。そして、郊外はまだまだ発展途上だということも確認できた。
中央広場の地下道。きれいだったが、ちょっと暗かった。店開きしているのは手相占い、ではなく合鍵屋。 郊外はひたすら大きな住宅団地ばかりだった。 社会主義時代に建てられたとおぼしき、年季の入った高層住宅群。 イイカゲンな舗装の路面に水たまり。 こういう道路も、そのうちきれいに整備されるんだろうか。 鉄塔にはガラス製の碍子。日本の碍子は陶製だけど、ロシアではガラスの方をよく目にする。 いきなりこんなのが通りを塞いでいるあたりがロシア?でも、どこぞのカップルがピースサインしながら装甲車をバックに記念撮影などしていて、警備員も警備してない。なんかとてつもなくゆるいがいいのか。 ウラジオストクは軍港の町。あちこちで、軍人さんたちがぞろぞろ歩いているのだった。 休暇の外出もグループ行動のようだ。5~6人一組の小隊で、よく見ると、ひとりだけ服装の違う人がいることが多かった。たぶんそれがリーダーなんだろう。 地元のおじさんと何やら楽しげにおしゃべりしていた集団。いかめしい軍帽が一見かっこよさげだが、よく見ると、みんな服に着られている感じの若いのばかりだー。 #
by terrarossa
| 2010-08-22 06:59
| 正しい道路の渡り方
2010年 08月 04日
前述してきたとおり、脳内ロシアサッカー祭りの勢いで、2010年5月、ロシア極東へ。ウラジオストクは4年ぶり、ハバロフスクへは6年ぶりの訪問となったのだが、街はいろんなところで様変わり。これがロシアンバブルってやつなのか?そうなのか?
今回の旅行も、サッカー観戦以外は、ひたすら街を歩き倒し交通機関乗り倒しに終始するだけの一週間だったため、それはそれはじっくりと街の様子を見て回ることができた(←それ以外にすることはなかったのかと今更ながら自己ツッコミ)。 ということで、まずはかの地の道路事情なり交通事情なり、感じたことを羅列してみることにする。 背筋ぴっしり、おなじみ横断歩道の標識。ロシアの「道路を渡るヒト」は標識ごとに絵柄が異なるなんて事はなく、きっちり統一デザインである、というのは前からそうだったのだが、 ウラジオストク駅前のは、蛍光イエローな反射板に縁取られて、バージョンアップしていた!こんなゴージャスな標識は4年前にはなかったぞー。 そして以前よりもずっと、市民の方々は信号を守っていた!これまであちこち行ったりしている中で、人が交通ルールを守るかどうかは、その地域の生活の豊かさと密接な関係があるような気がしているので、やっぱりロシアはイケイケドンドンなのだな、と思ったのだった。いやほんとのところはどうなんだか、旅行者ごときにわかるはずもないが、やっと極東地域にまでバブルが到達したというような雰囲気は、ちょっとだけ感じた、ような気がする。 生活が豊かになったからなのか、交通渋滞はたいそうひどいことになっていた。特に平日のウラジオストクは、市街地から容易に車が出て行けない有様。車の台数が増えて渋滞が恒常化したため、「車の通行の妨げとなっている」ということで、とうとう市街区域のトラムが廃線に。以前訪れた時には7路線も走っていた路面電車は、現在、郊外を走る2路線が残っているだけとなってしまった。 駐車中の車も先に進みたい車もごっちゃごちゃの交差点。それにしても、視界に入るほぼすべての車が日本の中古車ってどうよ。 トラックも日本のロゴをつけたまま大活躍。 そういえば街を歩いていたら、いきなり「右に曲がります。ぴーっぴーっ、右に曲がります」という日本語の機械音声が普通に聞こえてきて、一瞬、ここはどこなんだかわかんなくなったよ…… 郊外を走る路面電車。クラシカルな車両が奏でる、悲鳴のような軋り音と、舌を噛みそうながたつきはお約束。 で、車内もたいへんクラシカルであった。 始発から終点まで二十分ほど乗車したはいいが、公園のベンチのごとき座席は、長時間座る仕様ではなかった。これはなにかの試練でしょうか?イタタタ…… トラムを廃線にしても、それがバス路線に代わっただけで、車の台数もどんどこ増加、と、残念ながら市街地の渋滞はいっこうに解消していないもよう。トラムは便利で安くて(市内7ルーブル均一)良かったのに、と嘆いている人たちはたくさんいるんだろうな。 旅行者の交通手段として、ローカルな路線バスの利用はけっこう高いハードルだが、バス路線図があればどうにかなんとかなる。で、まず本屋へ行き、バス路線図を入手。キリル文字はゆっくり見ながら考えないとなかなか読めないが(とほほー)、バスには路線番号が大きく書いてあるので大丈夫(汗)。料金は市内なら11ルーブル(約33円。2010年5月現在)。料金は降車時に現金で運転手に支払う。小額紙幣か硬貨であれば、お釣りもそこでもらえる。基本的に停留所ごとに停車もしくは減速してくれるが、降車ボタンなどはついていないので、乗客のみなさんは、降りようとする停留所が近づいてきたら、前のドア付近に移動して、運転手に次で降りたいということを「意思表示」していた。 バスはほぼ韓国製の中古車(街を走る9割方の自動車が日本の中古車とはいえ、あくまでもロシアは車両右側通行のルールなので、乗降口が左側にある日本の路線バスは使えない)。運転手に制服などといったものは特に無く、どの方々もスウェットにGパンとか、非常にテキトーな装いで業務についていた。服装がなんだろうと仕事をきちんとこなせばそれでよし、なんだろうが、運転席を離れたら、誰が運転手なんだかわからん。で、みんなそれぞれ運転席周りを自分の使い勝手がいいようにアレンジ(デコレーション?)し、好みの音楽を結構な音量でかけていた。ああフリーダム。 この運転手さんはロシアンな歌謡曲がお好みらしく、車内にはしわがれたおっちゃんの歌声が響き渡っていた。渋いぜ。 かと思うと、老若男女あらゆる人々がご利用する公共交通機関として、これ、いいのか?っていうくらいガチなヒップホップで、思うさまグルーヴしていたニイサン(やたら若い運転手だった)もいたり。バス車内がどこぞのクラブと化していたわけだが、まだまだ詰めの甘い道路事情と、おんぼろ車両のいかれ気味なサスペンションとの相乗効果で、かなり相当ぐわんぐわんに揺れながら走るので、それはそれで合っていたような。 #
by terrarossa
| 2010-08-04 02:48
| 正しい道路の渡り方
2010年 06月 03日
「ゴールデンウィークにロシアでサッカーを見よう!」という思いつきはかなり唐突で衝動的なものだったため、準備に動き出した時は、既に希望するフライトは満席。で結局、コンパクトな旅程を組むことができず、だらだら1週間も極東ロシアに滞在し続け、帰国便はウラジオストクからではなく、ハバロフスクからとなった。
こんなことならモスクワでもサンクトペテルブルグでも余裕で行けたんじゃ、と帰国後ふと気づいたのだが後の祭り。思いつきと勢いだけで行動しているからいつもこういう事になる。いいかげん学習しろ自分。 ウラジオストク・ハバロフスク間は寝台列車「オケアン号」で移動、ハバロフスクでは丸一日時間が取れたので、ハバロフスクのスタジアムやサッカーチームの練習風景も少しだけ見ることができた。 ハバロフスクには、ルーチ・エネルギヤ・ウラジオストクと同じ、ディビジョン1所属の、スカ・エネルギヤ・ハバロフスク(СКА-Энергия Хабаровск) というチームがある。現在の名称になったのは1999年からで、チーム名の"СКА"は軍のスポーツクラブである(もしくは、かつてあった)ことを指し、"Энергия"は、ウラジオストクのルーチ・エネルギヤと同様、電力会社等のエネルギー開発関連の企業がスポンサーであることをうかがわせる。トップリーグ(ロシア・プレミアリーグ)へ昇格したことはまだないようだ。 かつて数シーズンにわたってロシア・プレミアリーグに所属し、多少なりとも日本との交流を持つルーチ・エネルギヤ・ウラジオストクにくらべると、得られた情報は極めて少なかった。ハバロフスク滞在もわずか1日で、試合を観戦したわけでもないので、ほんのさわりだけ目撃して帰ってきちゃった、という感じかなあ…… スカ・エネルギヤ・ハバロフスクのホームスタジアム、レーニン・スタジアム。15,200人収容。いかにも旧ソ連時代的な「レーニンなんちゃら」などという名称を使っているスタジアムは、ロシア国内ではここくらいしか残っていないらしい。 ウラジオストクでも、駅前にどーんと立っていたレーニンさんですが(カモメの定位置らしい)、 「レーニン」スタジアムというくらいですから、こちらのスタジアムそばにもいらっしゃいました。 スタジアム内で練習しているのはもしやトップチーム?遠くからちょっとだけのぞくことができた。 スタジアムから少し離れたフィールドでは、別なグループが練習中。 よく見ると、マンチェスター・ユナイテッドがまざっている。 どうやら、下部組織の選手たちのようだ。転がってきたボールを返してやったら、ボールを受け取った27番くんに満面の笑みで「スパシーバ!」と感謝された。将来のロシア代表目指して頑張れよう。 ……などと、なごんでいる場合ではなかった。ここはシベリア、アムール河畔。ちょっと練習見学しようと立ち止まろうものなら、即座に押し寄せる蚊の大群。片時もじっとはしていられない……それは選手も同様。おそるべし、シベリア。 ***************************************************************** #
by terrarossa
| 2010-06-03 02:59
| サッカー
2010年 06月 01日
16:00、ルーチ・エネルギヤ対ウラル、キックオフ。
このスタジアムはゴール裏に座席がないので、バックスタンドの両端が、いわゆるウルトラス席なのだが…… ホーム側。こっちがホーム側……だよね?と思わず再確認するほど人がいない。 いやいや、少数精鋭で熱い応援を繰り広げておりました。(モノホンの軍隊か警察から大量動員されたのであろう)警備員のほうが人数多いじゃん!というくらいだったので、発煙筒等々、キケンブツが使用された場面はさすがになかった。 アウェイ側。いるのは関係者だけか?かろうじて横断幕だけは持ってきたみたいだ。エカテリンブルグ(ウラルのホームタウン)、遠いもんなあ…… お客さんが少ないせいで、仕事にあぶれまくっているバックスタンド側の警備員たちは、いつしか職務そっちのけで試合観戦。 試合開始10分後。 20分後(……)。 ……いや、ほら、メインスタンドはぎっしり埋まっていたから! この時、ルーチは20チーム中18位と、未だ勝ち星がひとつもない不調の ルーチの布陣はたぶん4-2-3-1。ところが、ワントップのはずのFWがどうみてもイマイチ。というか、チームそのものが、18位・3部降格はすぐそこですよー、も納得だよなというようなグダグダっぷり。パスはつながらない、クロスはあさって、力任せのシュートは宇宙の彼方、肝心なところでバックパス。ああっデジャブが(どこでとは言いませんが)。 ところが、好調2位のはずのウラルがさらにグデングデンで、ゲーム自体が、うん、ロシア2部リーグだし、と思うようにして見ないとストレスが溜まりそうなアレな内容に。遠隔地アウェイ恐るべし。 あのう海外からわざわざロシア極東くんだりへ足を運んでまで見るような試合内容じゃないんですがー!! 物見遊山な外国人の無茶な心の叫びにもかかわらず、どっかの親切なロシヤの神さんが聞き届けてくださったのか、だるーい展開ながらも前半20分すぎ、ルーチがフリーキックを得、相手ゴールキーパーがはじいたこぼれ球を、今回のマッチデープログラムの表紙の人、トップ下のマクシム・フョードロフ(Максим Федоров)選手がヘッドで押し込んでゴール! この場面のあとに得点が入った、はず。フリーキックを蹴ったのは背番号7番、左サイドバックでキャプテンのアレクサンドル・ダンツェフ(Александр Данцев)選手。 ところが、後半が開始していくらも経たないうちに、そのフョードロフ選手は二枚目の黄紙を頂戴して早々と退場。ただでさえアレな状態なのに後半ずっと10人かよ!と危惧するも、次々と交代カードを切って(ここのリーグは4人まで交代できるようだ)なんとかルーチがそのまま逃げ切り、めでたく今シーズン初勝利となった。 印象に残った選手は、 ひょろーんと細長いゴールキーパーのミハイル・コマロフ(Михаил Комаров)選手。試合中に「もっと盛り上がれよーオラオラァ」と派手なゼスチャーで観客を煽る煽る。陽気でノリのいいヤツのようだが、ゴールキーパーなのにファンタジスタ。あまりにもプレーがスリリングで、見ている方は生きた心地がしなかった。や、ネタ的にはじゅうぶんいけてそうな選手かもしれぬのだが…… ちょっと別格だなあと思ったのが、小柄な右サイドハーフの8番、マクシム・ブルチェンコ(Максим Бурченко)選手。その足技の巧みさに歓声が上がる場面もあった。プレーは目立ってたし際立ってた。あとで調べたら、この人は長いことトップリーグでプレーしていたということを知り、なんとなく納得。 ロシアなので、お客さんは酒など飲みつつ観戦か、と思いきや、がばがば酒を飲んでいた人は少なく、真面目に観戦している感じだったのが意外だった(メインスタンド席だったからか?ビールには寒すぎる季節だったからか?)。それでいて声援はなかなか熱く、野次が飛び、笑い声も時々起こり、点が入った時などは大いに盛り上がり、非常にいい雰囲気だった。いろんな意味で楽しかった! 観戦のお供はヒマワリの種。ということで試合終了後。座席の下にはヒマワリの種の殻と煙草の吸い殻が点々と。 #
by terrarossa
| 2010-06-01 00:44
| サッカー
2010年 05月 31日
5月2日(日)、ディナモ・スタジアムにて、ルーチ・エネルギヤ対ウラルのリーグ戦(ディビジョン1・第8節)を観戦した。
ルーチ・エネルギヤのホームスタジアムは、「ディナモ・スタジアム」。10,500人収容。ここにもあったか「ディナモ」が。 スタジアム外観とチームバス。 正面入口。 1958年に創設されたルーチ・エネルギヤの当初のチーム名は「ディナモ」だったとか。翌1959年から2003年までのチーム名が「ルーチ」、現在のメインスポンサーは電力会社ほか複数の企業、団体等。で2004年以降は「光線エネルギーフットボールクラブ」と。名称一つとっても時代の動きが感じられるなあ。 チケット売り場。当日券を買い求める、黒い装いのおっさんやらオニイサンやらでごったがえしておりました。 メインスタンド中央席(日本でいうところのS席)が200ルーブル。1ルーブル約3円として600円!こちらの物価は、ものによるが大体日本の半額くらい……だとしても、200ルーブルというのは安すぎるような。 それにくらべてイヤーブックが350ルーブルって…… これがお高いイヤーブック。100ページ強、A4版フルカラーで紙質も決して悪くないつくりだが、チケット代より高いってどうよ。窓口のお姉さんに「えっ、これも買うの?」と驚いたような表情をされたが、そりゃそうだよな。 チケットとマッチデープログラム。マッチデープログラムは2試合分まとめて載っている。A5版。50ルーブル。 スタジアムの外回りには、ファングッズを売っている露店がいくつもあった。そういえば街の他の場所や、試合日以外でこういうファングッズを売っているところは見かけなかったな…… メインスタンド側入口。女性警備員もちゃんといて、ここで荷物チェックとボディーチェックを行い、入場する。 ルーチ・エネルギヤのチームカラーは黄色と青。シンボルは虎(沿海州のシンボルも虎だ。きっとアムールトラなのだろうな)。なので、スタンドは黄色と青の配色、場内アナウンスには随所にトラの咆吼が。 エネオスもスポンサーになっているらしい。 ウォーミングアップする選手たち。キックオフ20分前。 #
by terrarossa
| 2010-05-31 04:09
| サッカー
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展示場
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自己紹介
ハンドルネーム:テラロッサ
身分:社会人(農業関係) 関心事:サッカー、虫、植物、地理、 映画、音楽 時々:絵を描く、写真を撮る、旅行する ハンディキャップ:筋金入りの下戸 座右の銘:結果オーライ 将来の目標:空を飛ぶ ライフログ
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