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2006年 11月 30日
蛾を演出する方法
 今年も、幸運なことに「第7回東京フィルメックス」での上映作品を何本か見ることができた。映画祭のクロージング作品として上映されたのは、ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)監督の新作、「黒眼圏」。台湾で活動してきた監督が、初めて故郷のマレーシアで製作した作品ということだが、彼の作品世界の「オム・ファタール」として欠かすことのできない「シャオカン」ことリー・カンションと、これまでと同様「シャオカン」を狂おしく求める存在として、チェン・シァンチーが主演している。舞台が世界のどこであろうと、蔡明亮ワールドは蔡明亮ワールドなのだ。設定がどんなに不確かで突飛なものであっても納得できる安定感がある。いつもテーマはいたってシンプルだからだ。今回は、ダニまみれの重たいマットレスがあっちへ移動しこっちへ移動していくうちに、人間関係の方もずぶずぶ深まっていくという筋立てになっている。

 この映画の中に、蛾が登場する美しいシーンがある。
 建設途中で放棄されたビルの廃墟。中央には雨水などが流れこんだのか、大きな池ができている。そこでひとり、釣りをしている「シャオカン」。腕には大きな蛾がとまっている。と、蛾は羽ばたき、よろよろと不器用に飛んで水に落ち、また羽ばたいて上昇していく……
 割と唐突に挿入された感じのワンカットだが、なにか作品そのものを象徴するような、非常に印象的なシーンとなっている。
 この場面をどう撮ったかということについて、映画上映後のティーチ・インで、ゲストとして来日していたチェン・シァンチーが「あの蛾は本物で、(偶然あのように動いてくれて)ワンテイクでOKだった」と言っていた。
 映画の中に出てくる蛾は、大きさや翅の模様から、ヤママユガ科の「ヨナグニサン(Attacus atlas)」だと思われる。東南アジアに広く分布し、日本でも与那国島や石垣島に生息する、世界で最も大きい蛾の仲間だ。ヨナグニサン起用については、大きさ的にもビジュアル的にも申し分ないから「オファーされた」のだろうが、ワンテイクで撮影が成功したのは、生態上の特徴が結果的にうまく生かされたからではないだろうか。
 蛾は、翅の大きさに比して体が大きくて重く、蝶に比べると飛ぶことをあまり得意としていないものが多い(蝶と蛾を明確に区分する「定義」はないということは、以前書いたとおりだが、すくなくとも日本や中国では、分類上の「科」によって、どの科が蛾でどの科が蝶かという線引きをきっちり行っている)。ヤママユガ科の蛾も例外ではなく、飛行が不得手で静止している時間が長いため、捕獲しやすい。また、夜行性の蛾は、光の方向に飛ぶという性質を持っているので、廃墟の天井に空いた空間というロケーション(上方が明るい)は、この蛾の性質をふまえた上では、絶好の環境にあったと言える。
 もし蛾の動きが活発すぎて手こずるようならば、箱かポリ袋に入れて、冷蔵庫で10分程度冷やすと良い(冷凍庫ではそのまま凍死してしまうので駄目)。冷蔵庫から出せば、最初はおとなしく静止しているが、体温の上昇とともにふたたび元のように動き始める。
 ということで、実際の撮影はぶっつけ本番で行ったということだが、あの類の蛾であれば、ある程度のコントロールは技術的に可能だったと思うところである。

 以下、蛇足。
 映画撮影の現場において、大型の蛾ならばどうにか本物を使えそうだが、動きが素早い蝶の方はやっぱり物理的に難しいようだ。ということで、蝶のCGが出てくる映画やテレビドラマはけっこうあるが、面白いのは、CGで描こうとしている飛び方がほぼすべてモンシロチョウとかスジグロシロチョウなどの「シロチョウ科」の蝶を念頭に置いてるらしいということ。それだけ身近でイメージしやすいってことか。でも、どれ一つとして本物らしいリアルな動きをしているものは無かったように思う。蝶の飛行、今の技術をもってしても再現不可能なのか。
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by terrarossa | 2006-11-30 02:08 | 映画
2006年 11月 07日
西海岸系?
西海岸系。
 ……そんなおおざっぱな分け方があるかどうかはわからないが、ここ最近ヘビーローテーションしているのは、アメリカ西海岸出身バンドのフーバスタンクだ。すでに2001年のメジャーデビュー・アルバムから、新世代ラウドロックバンドとして話題となり、2003年に発売された「The Reason」では、シングルカットされたタイトルチューンのバラードだけでなく、アルバムも大ヒットしている。
 最新アルバム「Every Man for Himself」(日本盤タイトルは「欲望」)は特に素敵だ。心踊るサウンド、五感に訴えかけてくるビート。もう、冒頭の現役米軍軍曹の訓示に続く「Born to Lead」から、一挙に心奪われてしまった。いろんな人が評価しているとおり、以前のアルバムから比べると、ひたむきで激しい路線から、より内省的な方向にシフトしている。もとより単にラウドロックと分類するのをためらうほどナイーブな側面を持つ彼らの音楽だが、なんというか、同じ「熱さ」でも、ガンガン燃えさかる「炎」から、湿度を伴った「蒸気」になったような質の変化を感じる。そのぶん、まっすぐで衒いのないボーカルの声に、せつなく控えめなエロティシズムが加わって、さらに魅力的になったと思う。
 初期アルバムからのファンからすれば、だいぶおとなしくなっちゃってかなりもどかしいところもあるんだろうけど、最新アルバムはその分じっくり聴けて、心の奥底にぐっとくる。彼らは世代的にもキャリア的にもリンキン・パークと重なる比較的若いバンドで、これからどこへ向かっていくのかはまだわからないが、おおいに注目しているところだ。

 そもそも好きだったリンキン・パーク、サーティー・セカンズ・トゥー・マーズ(30STM)、レッド・ホット・チリ・ペッパーズもやはりアメリカ西海岸出身のバンドだ。さまざまなアーティストが活躍しているアメリカ西海岸地域は、分類したらきりがないくらいいろんなジャンルの音楽はあるし、同じカテゴリにあっても、もちろんそれぞれの音楽性は異なっているけれど(フーバスタンクは、リンキン・パークや30STMとくらべると、より直裁でアッパーな印象がある)、基本的な路線としてはやっぱ近いものがあるんだろうな……ああ、そういえば台湾の黄立行(Stanley Hwang)もロサンゼルス育ちで、ここの音楽の影響をもろに受けているのだった。
 少なくとも、一個人を惹きつけるなにか共通項のようなものは、はっきりとあるような気がする。地縁と音楽性が必ずしも一致するわけではないにしても。
 
 ところで、「アメリカ西海岸」というと、晴天の日が多く、からっとした気象条件から、モトリー・クルーとかガンズ・アンド・ローゼス、ヴァン・ヘイレンといった明快なハードロックをつい連想してしまう。だが、それらのバンドが活躍した1980年代よりももっと世の中の事情が複雑になってしまった21世紀においては、いくら天気がいいからといって単純明快享楽的といくわけにもいかなくなったのか、深く思い悩み、時には捨て鉢になり、苦しげにのたうつような音楽が際だって多くなった。
 そんな30STMのセカンド・アルバム「A Beautiful Lie」はエロスと退廃のお耽美なテイストをたっぷりと含みつつも、いったいなににせき立てられてるんだというようなせっぱ詰まったサウンドが、アルバム全編を駆け抜けている。歌詞の刹那的な内容も相まって、いいトシの大人が、モラトリアムをさまよう少年みたいに不安定で鬱屈した心情を思い切りぶちまけているように聞こえてしまう……いや、モラトリアムとかそういうことじゃないなあ。ついに降り立った火星の、あまりに殺伐とした厳しい現実に衝撃を受けて打ちのめされる、地球人の心の叫びのようだ。それにくらべて彼らのファーストアルバムは、なんだかわかんないがやたら壮大で、その分現実感がなかった。それは、まだ火星が未知の惑星で、ばくぜんとあこがれる宇宙のイメージだったからか(←違います)。
 不思議なことに、ここで唐突に思い浮かんだ日本のバンドが、それっぽい感じのLUNA SEAとか黒夢とかラルクではなく、デカダンスとか重厚さとかそういう位置とはある意味対極のところにいるであろう、バンプ・オブ・チキンだった。
 あまりに生硬な、若さゆえの焦燥、理由なき苛立ち、ざらついた疾走感。それでも未来はあかるく希望に満ちている。彼らの、せわしく前のめりで、極端に湿度の低い歌世界に触れたとき、ひどくエモーショナルで、うっかり衝突しちゃったらダメージのでかそうな30STMを思い出してしまったのはなんでだろう?
 たぶんそれは、国と世代は違えど、振り返らず戻らず、ひたすら生き急いでる感じがほんの少しだけ似通っていたからなのかなあと、つらつら思っているところである。

と書いているうちに、いつの間にか西海岸がすっかり遠くなってしまった気が……
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by terrarossa | 2006-11-07 21:41 | 音楽