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2005年 03月 30日
ジョヴァンニ(2001、イタリア)
 映画「ジョヴァンニ」の舞台となった中世・ルネサンス期の地球は、気象学的に「小氷河期」といって、今より気温が低い時代だったという。そういえば、この時代に描かれたヨーロッパの絵画を見ると、絵に描かれた人々は、皆やけに厚着だ。質素な服も豪華な服も、分厚いカーテン生地のような質感で描かれている。冬の衣装を描いた絵しか残っていないということはないはずだから、やっぱり寒かったのだ。その後も、とりわけヨーロッパの女性の衣装が過剰なまでに重厚に華やいでいったのは、13世紀から19世紀半ばまで続いたという小氷河期あってこそなのではないか。ごてごて重ね着しても丁度良いくらいの気候でなければ、ああいった服飾文化は成立しないだろうと思うのだが、どうだろう。
 古代ギリシャ・ローマ時代の人々が、地理的にさほど違わない地域にあって、たいがい腕も足もむきだしでひらひらの薄物だけを身にまとっていたことを考えると、その差は歴然としている。わずかな気候の違いであっても、その時代の文化そのものに及ぼす影響は決して小さくはないはずだ。

 閑話休題。
 「ジョヴァンニ」は、おそろしく静謐で、そして、「小氷河期」のヨーロッパらしく、心底寒さに身の震えるような作品だった。
 物語の舞台は主にイタリア北部だが、実際は零下20℃を下回る、厳寒期のブルガリアでロケを行ったそうだ。現在のイタリアでは温暖すぎて当時を再現できないだろうから、気象条件にこだわった結果、ブルガリアにしました、という訳でもないだろうが……いや、エルマンノ・オルミ監督だったらそこまで考えそうな感じもしないでもない。
 史実どおりだとすると、季節は11月かそこらのはずである。だが、半ば凍った川面から湯気のように川霧が立ち上っているし、ひとの吐く息で隊列全体の輪郭がぼやけて見える。半端でなく寒いことは一目瞭然だ。その中で金属製の武具を身につけなければいけなかった俳優たちはさぞかし辛かったことだろう。
 この映画のテーマは、自分が誰を殺し、誰に殺されようとしているのか知りえない、非人間的で愚かしい「近代戦」のはじまりと、近代兵器=大砲の最初の犠牲になった最後の騎士のことであって、おそらくジョヴァンニ・ディ・メディチという人物そのものについてではない。
 いずれにせよ、物語は歴史的事実に沿って、ドキュメンタリーのように淡々と展開していく。同時代に実在した人物たちが、次々とカメラに向かって状況を説明する。そのカメラは、意識的に距離を置いてジョヴァンニと接しているように見えるし、また、ジョヴァンニを語る劇中の人々も、彼の人物像について深く掘り下げようとすることはない。
 ジョヴァンニを巡る人々(アルフォンソ・デステやフランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレが登場するのだ!)の複雑な確執、陰謀、裏切り、人妻との秘められた恋。やりようによってはものすごくドラマチックにできそうな話をあえてぎりぎりまで抑えに抑え、ひどくストイックに演出している。もちろん映画では、戦闘シーンあり、激情に駆られた行動ありと、それなりのアクションはあった。激しい恋に落ちる場面も、実に印象的に撮られていた。が、見終わって振り返ってみると、凍てつく寒さと、水を打ったように静まりかえる風景の残像だけがあって、全く音の記憶が無いのだ。
 何よりもまず、この作品でのジョヴァンニは、戦傷を負う前から、自らの死期を悟ったかのような、ある諦念のようなものが始終感じられて仕方がなかった。いずれ磔になることを予期し受け容れる、殉教者のような雰囲気すら漂っている。一個大隊を率いる傭兵隊長が、いくら身内の裏切りを知ったからといって、戦闘のさなかにこんな哀しい目をしていたら、兵士たちは戦わずして戦意喪失してしまうよ。 
 だが、重傷を負い、いよいよ足を切断しなくてはならなくなる段になって、「エルマンノ・オルミ流ジョヴァンニ」の寂寥感に満ちた表情は断然生きてくる。発熱による汗ばんだ肌、自由を失い、はからずも他人の手に委ねざるを得ない状況に陥った身体の、なんとエロティックなことか。
 (結果として、恐らく足の切断による感染症が彼の命を奪ったのだが、当時の惨憺たる衛生状況を考えると、むしろそうならないほうが不思議だといえるだろう。)
 クリスト・ジフコフ演じる、激情を内に秘めた、寡黙なジョヴァンニは、はっきり言ってものすごく好みである。よくぞブルガリアまで遠征してこんな素敵な俳優を起用してくれたものだと大喝采したいくらいだ。妻マリア役のデシィ・テネケディエヴァ(このひともブルガリアの役者だ)も愛人「マントヴァの貴婦人」役のサンドラ・チェカレッリも、当時のフレスコ画からそのまま抜け出したかの如き、古風な美しさに満ちあふれていて、彼女たちの登場シーンはまさに至福の時間。ただもうウットリ(←ヨダレ出てます)。
 
 が、ここで大きな落とし穴が待ちかまえていた。自分の過去の記憶だ。
 というのは、高校時代になぜか中世・ルネサンス期のヨーロッパにはまり、そのあたりの歴史本を憑かれたように読みまくっていた時期があったのだ。
 ジョヴァンニ・ディ・メディチについては、「黒隊のジョヴァンニ」と称された勇猛剛毅な武将で、優れたリーダーであった。母親はチェーザレ・ボルジアと渡り合った「女傑」カテリーナ・スフォルツァである。少年時代は手のつけられないワルで、長じて傭兵隊長になってからは、あちこちで戦争しながら複数の愛人を囲うような、エネルギッシュなやり手男だった……等々、すべて史実か真実かどうかはわからないまでも、一定の先入観を抱くほどの情報を事前に得ていた、というのが痛い。すごく痛い。エルマンノ・オルミ描くところのジョヴァンニの世界に、心ゆくまでどっぷり浸りたかったのに、「このジョヴァンニ、なんかちょっと違うよなあ」というムダな疑念に始終悩まされることになってしまった。ああ悔しい。でも、知らなければ良かった、と思う反面、もしあの時代にはまっていなかったら見ていなかった映画だろうな、と思ったのも事実である。皮肉なものだ。
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by terrarossa | 2005-03-30 20:55 | 映画
2005年 03月 27日
台湾のアッパレなラッパーたち
 中国語圏の人たちはバラードが好きだ。
 むこうに行ってMTVを流しっぱなしにするとよくわかる。よくもまあ、似たようなバラードばっかりオンエアして飽きないものかと感心するくらいだ。当然、ヒットチャート上位にあるのはおおむねバラードナンバーである。最近、音楽シーンも世代交代が進んで若手がどんどん出てくるようになったので、ちょっとは変化もあったかと思っていたが、やっぱりバラード強し、だ。
 中華圏の映画をよく見るようになっても、バラードが席巻する音楽方面にはどうも食指が動かなかった。自分がもともとバラードを苦手としているからだ。(もちろんいいとか悪いとかではなく、単純な個人的嗜好の問題にすぎないことは言うまでもない。他人にどんなにいいよと勧められようが、心に響かないものをじっくり聞かされることほど苦痛なことはない。音楽の好みは理屈じゃない。ただ好きか、好きでないかだけだ。)

 年末年始に台湾を一回りしていた時のことだった。
 大晦日は台湾の最南端の安宿に泊まっていた。テレビでは、年越しイベントの歌番組を放映していた。その夜は台湾南部にあるまじき寒さで、暖房設備のない部屋で布団にくるまって、震えながら歌番組でも見ているほかなかった。入れ替わり、色々な歌手が登場しては持ち歌を歌う。案の定、ほとんどがバラードだ。それでも眠るのはまだ早いし、他にすることもなかったので、惰性で見ていると、ひょろんとした坊主頭のにいちゃんがにこにこしながら登場してきた。
 年越しライブなのに、やけに地味な格好だな……ヒップポップ系の人ならこんなもんか(←乱暴な決めつけ)。ゆるいラップでもやるのかしらん、と思っていたら、予想に反してずっしり重いビートでもって曲が始まる。そしてそこに絡んできたのは、ダークで意味深なラップ。
 なんだなんだ、すんげえかっこいいぞ!
 思わず画面を食い入るように凝視してしまった。台湾にもこんな歌手がいたのか!
 これが、黄立行(Stanley Hwang)との記念すべき(?)出会いだった。

 さて、この一目惚れならぬ「一聴き惚れ」してしまった黄立行、音楽のキャリアはけっこう長く、以前に兄と従兄弟で結成した「L.A.boyz」という3人組のアイドルグループで一世を風靡したらしい(ただし、3人のルックスはお世辞にもアイドルとは言い難い)。その「L.A.boyz」のアルバムも聴いてみたら、悪いが相当トホホな感じだったので、ある意味驚いた。アイドルグループっぽいぺらぺらなサウンドは、当時(約10年前)の流行だったのかもしれないが、歌は斉唱、しかもへなへなでガッカリ。バラードなんて聞けたものではない。ラップナンバーも当時としては斬新だったとはいえ、決して上手いとは言えず、今の彼を考えると、よくもここまで大化けしたなという一言に尽きる。

a0021929_820046.jpg 黄立行のアルバムで一番最初に聴いたのが、最新アルバムの「黒的意念」だった。
バラードや、ストレートなロックナンバーも入ってはいるものの、これはもう完全に(自分の大好きな)リンキン・パークとか、リンプ・ビズキットといった、いわゆるラップ・メタルとか、ミクスチャー・ヘヴィ・ロックと言われている類だ。あらためてリンキン・パークのPVなどを見てみたら、スタイルまでもがあまりにも彼らと酷似していて、ちょっと驚いたと同時に、彼がアメリカ・LA育ちだということを知って、納得もした。
 過去のアルバムを聴いてみると、中国語圏にありがちなバラードや、こちらが気恥ずかしくなるくらいのまっとうなロックンロールナンバーが大半を占めている。しかしやはり、ところどころで内へ内へと籠もってゆく鬱屈の片鱗のようなものはちらほら見える。ファーストアルバム「[イ尓]身邊」にも、少ないがラップナンバーが入っている。二枚目「馬戲團猴子」、三枚目「STAN UP」と行くに従って攻撃的な歌が増えてくのが興味深い。
 そして、溜まりに溜まった鬱屈を一気に噴出させてしまったような感があるのが、最新アルバム「黒的意念」だ。赤い炎がもっと温度を上げて青い炎になってしまったかのようだ。やり場のない憤懣と虚無のにおいを漂わせた攻撃的なラップはまさに「酷(クール)!帥(かっこいい)!」。日本盤が出てないのがほんとに惜しい。きちんと宣伝したら、かなり相当イケるんではなかと思っているのだが。
 そういえば、なぜか日本でこのタイプの重厚な音をもってくるラッパーは、メジャーシーンでは見かけないような気がする。今どきの日本のメインストリームであろう、ゆるめのすかすかなラップミュージックも悪かないんだが、やっぱり自分は、音楽も腹にずっしりたまるものが好きなのだと再認識する。ギンギンのヘヴィーなサウンドに叩きつけるようなラップが乗っかる快感といったら!

 そして「L.A.boyz」解散後、兄の黄立成(Jeffley Hwang)もまた、数年のブランクの後、音楽活動を再開していたことがわかった。早速、彼がリーダーを務める「黄立成&麻吉(Machi)」というヒップホップグループのCDも聴いてみることにした。
 なんとそれが、弟の音楽と全く違うのに、(自分の中で)ストライクゾーンど真ん中だったのだ。面白い!

a0021929_8204431.jpg 黄立成のサウンドは陽気でウィットに富んでいる。ヒップホップのメインストリームを歩んでいるのだなという印象だ。弟の「陰」に対し、兄は完全に「陽」だ。実に対照的な兄弟だなあと思う(見た目もそんな感じだ)。
 そもそも打ち込みにターンテーブルにと、リフレインする機械音を駆使しまくる宿命ゆえ、とかく薄っぺらで無機的な音に陥りがちなラップミュージックだが、彼らのラップからはアジアな湿度と体温がしっかりと感じられる。彼らが音楽を、ラップを楽しんでいることが伝わってくる。それでいて響きは痛いほど攻撃的で刺激的だ。ビートも軽快だけどしっかり厚みと重量感がある。
 これには、彼らの音楽性に加えて、もっと根本的な、中国語の語学的な特徴が関わっているのかもしれない。
 何せすばらしく歯切れがいい。言葉がずばずばとつき刺さっていくような印象だ。当たり前といえばそうだ。中国語は一語一語が非常に短い。しかも漢字一文字が非常に多くの意味と情報を持つ。これほどラップに向いた言語は他にないんじゃないだろうか?
 ただ、メッセージこそが重要な「ラップ」ゆえ、外国人にとって意味がわからないというのが致命的だったりする。しかも彼らのラップはほとんどが「地元」でしか通じない言葉、台湾語だ。
(個人的には、自分にとって音楽はまず「音」で、歌詞の意味は重要でない、という聴き方をするので、台湾語がわからないことに関しては全く気にならないが)。
 
 残念なことに、黄立行も黄立成も、本国台湾では「本格的」すぎるのか、一部で話題にはなっても、いまいちブレイクしきれていないらしい。相変わらずバラード全盛の台湾音楽シーンにおいて、相当苦戦を強いられているポジションにあるようだ。だがこれからも、売れ筋狙いのバラード方面などには行かずに、ぜひ我が道を邁進していただきたいものである。
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by terrarossa | 2005-03-27 08:27 | 音楽
2005年 03月 03日
レクイエム・フォー・ドリーム(2000、アメリカ)
 出演者たちの心と体に尋常でないプレッシャーを強いたであろう、ジェットコースター恐怖映画。
 ヤクの売人で、自らもドラッグ漬けになるダメダメ息子を演じたジャレッド・レトの鬼気迫るやつれっぷりもアッパレだったが、それ以上に、ダイエットがきっかけで覚醒剤にはまり、精神が崩壊してゆく老いた母親を演じたエレン・バースティンがとにかく凄い。
監督は、デビュー作「π(パイ)」で一躍有名となったというダーレン・アロノフスキー。が、「π」は未見だし、原作小説「夢へのレクイエム」も読んでないので、以下は、この映画だけを見ての感想となることをお断りしておく。

 主役の4人が全員ヤク中で、従って幸せな結末などあろうはずもなく、救いは全くない。おまけに、グロテスクな描写で大袈裟にあおっているところもあるので、人によっては生理的に駄目だったりするかもしれない。にもかかわらず、個人的にはそれほど「くる」ものはなかった。なにせ、ガンガン攻め込んで行くが如き目まぐるしいテンポとカット割りは、なにかをすっこーんと通り抜けちゃって、コミカルですらある。そういう、どっか突き放したような描写に、非常にクールでドライな印象を受けたので、麻薬の害悪をリアルに、容赦なく描いた作品であることに異論はないものの、皮膚的な恐ろしさを感じるまでには至らなかったのだ。うーん、役者たちは半端でない熱演を繰り広げているんだがなあ。
 映像自体は斬新で(や、一歩足を踏み外すと陳腐なホラー映画になりかねない、とも言えるか。くわばらくわばら)、低予算のインディーズ映画よろしく、まず作り手が楽しんでいることが感じられる。テレビ、甘いお菓子、コーヒー、そして「ダイエット」という行為……中毒は麻薬だけでないのだ、と言う主張もきちんと伝わってくる。クスリでイっちゃったら、世の中がこんな見え方をするのであろう、とリアルに思わせてしまう世界の組み立て方も巧みだ。後半、病院のシーンがあるんだが、「いくらなんでも今の病院でこんなことはしねえだろ!」と突っ込みを入れたくなる場面が出てくる。長年テレビドラマ「ER」にはまっている身としては、黙っちゃおれないような嘘臭い描写だ。しかし、ふと、「あ、これもドラッグでおかしくなった彼らの主観的な視点からだと、こう見えるってだけなのか」と思い至り、納得。見ていたテレビと自分がごっちゃになって乱痴気騒ぎになったり、口がぱっかり裂けた人喰い冷蔵庫に食われちゃったりしている世界だもんな。
 
 ところで、ジャレッド・レトという俳優を初めて知った時から、どこかで見たことのある顔だなあ……とずっと気になっていたのだが、この映画の、どっか詰めの甘いチンピラ風のジャレッドを見て、彼が、漫画家・多田由美氏の描くキャラクターにそっくりであることに気付いた。ぱっちり丸くて大きな瞳に少し上向きの鼻、寂しげな口元は、確実に少女漫画入ってる。むろん彼女はジャレッドをモデルにキャラクターを描いている訳ではないはずなので、驚きと感動もひとしおだった。デジャヴの正体はこれだったんだ。二次元の世界、侮りがたし。ほんと、びっくりするくらい似てるよ。すげえ。
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by terrarossa | 2005-03-03 23:12 | 映画