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2004年 05月 25日
一身上の都合で
 「それ」を行っているようなのだが、理由はよくわかってないらしい。
 ちなみに誰のことかと言うと、人ではなく、「フタナミトビヒメシャク」というガ(蛾)の幼虫のある行為についての話である。

 本種はシャクガ科の仲間で、いわゆる「シャクトリムシ」と呼ばれているグループに属する。その名の通り、幼虫は細長く、尺を取るように歩くという特徴がある。フタナミトビヒメシャクの若齢幼虫は、シャクガ科の幼虫の中でも特にスリムな体型で、芋虫というよりは、まるで針金か糸が歩いているように見える。
 また、この仲間は、何かに驚くと、直立して動かなくなるという習性を持っている。小枝に擬態して敵の目を欺くのが目的のようだが、葉の中央とか、建物の塀など妙な場所でかたまっていると、かえって目立ってるぞオイ、と声をかけてやりたくなる。なんだか逆に「私は虫じゃないでーす、動いてませーん、あなたの餌ではありませーん」と必死に自己主張しているようにも見えて、それはそれで微笑ましい(や、彼らにとっちゃ命の危機なんだから、別に微笑ましい事態ではない)。
 「フタナミトビヒメシャク」という舌を噛みそうな名前を持ってはいても、特に珍しい種類ではないし、食草の種類も多いので、ちょっと気をつけていれば割と色々なところで見かけることができるというのも、うれしい限りである(うれしくない人の方が多いかもしれない)。
 実はこの「フタナミトビヒメシャク」、くすんだ黄緑色の糸くずみたいなのが規則正しく尺を取って歩く姿や、ぴっしー!とまっすぐ硬直して必死にカムフラージュする様は、もうそれだけで十分楽しいものなんだが、さらに驚くべき奇妙な習性を持っていたのであった。

 自分がまだ学生だった頃の話。小さな鉢植えに、細長いシャクトリムシがくっついていたので、当時所属していた研究室の実験台の隅に、鉢ごと置いて様子を見ることにした。何日か経ったある日、何も置いていない実験台の中央に、不審な黒い粒子がぱらぱらと落ちていることに気付いた。それは明らかに虫の糞だった。鉢植えは隅に置いてある。シャクトリムシは鉢植えの中で、黙々と葉を食べている。こんなところまで虫が来るわけないし、と思いつつもう一度シャクトリムシの方を見たその時、決定的な瞬間が目に飛び込んできた。

頭を肛門の方へぐいっと曲げたかと思うと、ぴしっと反り返って自分の糞を弾き飛ばしたのである。
それをいちいち脱糞のたびにやっているのである。
体長約5㎝にしてその飛距離、約40㎝。(←あとで計った)

 後に、このシャクトリムシが「フタナミトビヒメシャク」であることを知ったが、自分の糞を飛ばす習性がある、という記載のあった文献は、当時(約15年前)、2冊ほどしかなかったと記憶している。あの決定的瞬間を目撃した者は、意外とごく少ない人数なのかもしれない。
 自分の在処を敵に知られないようにするための行動である、という説が有力に思えるが、では何故フタナミトビヒメシャクだけがこのように特異的な習性を持っているのか、理由はわかっていないとのことである。いちいちあれだけの事をやるんだから、何か訳があるに違いないんだろうが……
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by terrarossa | 2004-05-25 02:56 | いきもの | Comments(0)
2004年 05月 24日
リベラ・メ(2000、韓国)
 だいぶ前に購入しながら封も切っていなかったDVDをやっと鑑賞。
 2時間、いろいろな意味で燃えっぱなしだったなあ。本物にこだわったスタッフの意気込みが実に暑苦しく伝わってきた。CGなんかではなく、本当にビルを爆破炎上させてしまった上に、俳優たち本人が危険なシーンも演じたとのこと。カットバックとスローモーションの多用。くどく重々しく「恨(ハン)」に満ちている。ハリウッド作品ならこうはなるまい。撮る方も、演じる方もさぞかし大変だったにちがいない。
 ストーリーは肝心な所がいまいちわからなかったし、登場人物が抱えているものや、それぞれの関係がよく見えてこなかった。台詞で語らずとも、シーンの中ではっきり見せるような手法は取れたはずだ。実力派のキャストがずらりと揃い、それぞれが素晴らしい熱演を見せていただけに勿体ない。脚本よりも、火災シーンの撮影でいっぱいいっぱいだったのかしらん。
 命がけの危険な仕事ということで、消防士をとりあげたノンフィクション番組は沢山作られている。だが、そういうところで「本物」を見てしまうと、ストーリーとは直接関係ない設定部分でのフィクション臭が気になって、集中できない。あ、これは見る側の問題か?
 チェ・ミンスはさすがにかっこいい。主人公だし、またこれが絶妙のアングルで撮られてるんだわさ。あの火災現場でマスクも何もつけないのは消防士としてどうなのか?とか、なぜ煙草なんか吸ってるー?など、突っ込みどころは多々あったが、打ちひしがれたヒーローは実にセクシーだった。
 元トップモデル、チャ・スンウォンのシリアス演技は初めて見たが、はまりすぎ。彼の濃いキャラクターは、コメディでこそ真価を発揮するものだとばっかり思っていたが、本作での、いわゆるサイコパス役はぞくぞくするほど似合ってた。またその内、ゲロゲロの悪役なども演じていただきたいものである。子供達相手に遊ぶシーンでは、「先生キム・ボンドゥ」でのチャ・スンウォンもこんなかなあ、と想像してしまった。今年のシネマコリアで鑑賞するのが楽しみだ。
 
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by terrarossa | 2004-05-24 04:33 | 映画 | Comments(2)
2004年 05月 23日
夜な夜なラジオを聴いていた
 1970年代後半から80年代前半にかけて、海外のラジオ放送を楽しむ、いわゆるBCL(Broadcasting Listener)ブームというのがあった。単に聴くだけでなく、受信報告書をラジオ局に送ると貰えることもある「ベリカード」を収集したり、遠方の局や地下局の受信に技術を駆使して挑戦したり、特定の国の放送局にハマってみたり。人によって楽しみ方は色々だった。インターネットの概念など、まだ無かった(か、一般には知られていなかった)時代である。
 小学校5年生の時、ある夜、部屋でラジオをいじっていたら、突然、妙なイントネーションの日本語で「こちらはKBS、ラジオ韓国です」というアナウンスが飛び込んできた。それが全ての始まりだった。
 そういえば近所の中学生が短波ラジオを持っていて、「海外放送ジュシン」とやらに熱心に取り組んでいた。彼らの間では、「SINPOコード」とか「ベリカード」とか、何やら意味不明の言語が交わされていたが、つまり、このことだったのか!
 自宅の部屋に居ながら、海外の生の声を直接聴くことができるという事実に、単純な自分はひどく感動し、瞬く間にBCLの虜となってしまった。とは言っても短波が受信できるラジオは、当時、ちょっと小遣いを貯めたからといって買えるような値段ではなかった。で結局、高校卒業までは中波ラジオで受信できる近隣諸国の放送を聴いては受信報告書を書き、放送局から送られてきたベリカードやカレンダーを眺めては、ひとり国際的感動(?)にひたっていたのだった。
 BCLにハマった頃は、冷戦真っ只中。モスクワ放送が枕詞のように「アメリカ帝国主義の謀略は……」などと繰り返していた。いつも軽めのポップスが流れているソ連の「マヤーク放送」が、ある日突然クラシック音楽ばかりになって変だなと思っていたら、書記長が亡くなっていたというニュースが後から報道された、なんて生々しいこともあった。

 80年代も半ばを過ぎ、BCLブームがすっかり下火になった頃、やっと短波ラジオを購入。長いアンテナを室内に張り、遠くの局を狙うようになった。そんなある日の深夜、とある周波数に合わせたところ、突然聞こえてきた妙なポップミュージック。や、確かに楽器も曲調も欧米ポップスのそれなのだが、なにか違う。微妙なアラビアン・テイストがそこかしこに漂っていたのだ。この絶妙なさじ加減ときたら、「エキゾチックな魅力満開の斬新さ」と「限りなくダサダサな田舎臭さ」との狭間でぎりぎりのバランスを保っているという感じ。もしかしたらこれは「欧米人がJ-POPを聴いた時に感じる心境」なのかもしれない。言語にしろ音楽にしろ、なりきっているつもりでも当人にはわからない微妙な違いというものはあるのだなあ、ということが非常にわかりやすく実感できた一件だった。ちなみに、この音楽を流していたのは、「アラブ首長国連邦の声・アブダビ」という放送局。
 この後、湾岸戦争が勃発するのだが、この時もニュースで大々的に報道されるより先に、いつも受信できていたラジオ・クウェートが突然受信できなくなるという異変があった。
 
 今や世の中は、インターネットで世界中の情報が個人で簡単に入手できる時代になった。アンテナ線を張り巡らし、フェージングと格闘しながら、耳ダンボ状態でやっとこさ情報を得るなどという非効率的な手段をとる必要はなくなったのだ。そりゃ便利になったとは思うけど、何だか味気ないし、まるで実感が湧いてこない。
 はるばる海を越えて届いてくる雑音混じりのご当地ポップスや、様々な言語のニュースをよく意味もわからないまま聞いていた時の方が、かえってナマの世界情勢を肌で感じていたような気がするのは、なぜなんだろうなあ。
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by terrarossa | 2004-05-23 04:41 | 見聞録 | Comments(0)
2004年 05月 23日
心猿意馬(1999、香港)
 一度見たVCDをなんとなくもう一度見てしまった。いちゃいちゃしている呉毅將(ベン・ウー)と王喜(ウォン・ヘイ)を再確認したかったから(ええ、腐ってます自分。腐ってますとも)。
 物語の主軸は待ちぼうけを食わされた黎姿(ジジ・ライ)と足止めを食った連凱(アンドリュー・リン)のカップルに三級片女優役のアルメン・ウォンがからむというもので(つーか、ジジ・ライが恋人に会えない一夜を寂しく過ごしているというのに、連凱先生ときたら足止め食った先でアルメン・ウォンに自分が出演する映画の相手役をしてくれと迫られて、そんでもって彼女の不幸な境遇にほだされて、ついヤってしまうのだ。ま18禁映画だしな)、タクシー運転手・呉毅將と王喜のエピソードは、メインの話にはほとんど絡んでこない。オムニバス形式の物語なので、話が独立するのはアリ、なんだけど。
 で、監督が本当に撮りたかったのは彼らの方に違いないとあらためて確信(根拠無し)。とにかく王喜がすーげーラブリーなのだ!撮影時既に三十路をこえていたはずの彼が、こりゃー無謀だろうという二十歳前後の青年役に難なくハマっている事実に驚愕。強面悪役顔の呉毅将が頼もしく優しいアニキに見えてくる。ジュリアン・マジック(←今作った言葉)恐るべし!
 特に印象的だったのは、結局ジジ・ライは機長パトリック・ツェーおじさまとの一夜の出会いも不発に終わり、連凱とも別れ、アルメン姐さんは連凱に逃げられ、不幸な人生をたどる、と、男女カップルがことごとく上手くいかないのに対して、激しいカーセックスシーンを演じきった(!)呉毅將と王喜の方は、再び相まみえる予感を残しつつ物語が終わる、ということ。ヘテロセクシュアル至上主義の世の中に立ち向かうマイノリティーとしての意志をひしひしと感じた次第である。監督の李志超(ジュリアン・リー)という人は、この後、2003年の東京ファンタスティック映画祭でも上映された「妖夜廻廊」を製作している。未見だが、非常にゲイテイスト濃厚な映画だということだ。そしてプロデューサーはスタンリー・クワン。やっぱりね(と、思った人は多かろう)。
 ひょっとしたらスタンリー・クワンは、自分がプロデュースしたこの作品で「藍宇」の習作をしていたのではないか、とついつい思ってしまう。もっとも「心猿意馬」が1999年、「藍宇」が2001年だから、「心猿意馬」に関わっていた頃にはまだ「藍宇」製作の話はなかったのだろうけれど。

 そういえばこの映画で描いているのはたった一晩の出来事なんだよな。一晩といえば思い出すのが、香港映画では「ロンゲストナイト」。これも面白かった。そして自分の人生を変えてしまったと言っても過言ではない張元監督の「東宮西宮」。これについては後ほど(って、いつになるんだろうか?)。
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by terrarossa | 2004-05-23 04:40 | 映画 | Comments(0)