カテゴリ:見聞録( 40 )
2008年 11月 15日
曾祖父の足跡をたどる その四
 昼過ぎに大学図書館を出て街に戻り、今度は、学籍簿に載っていた住所の探索にかかる。
 ドイツへ行く前に東京へ遠征して入手したヴュルツブルク市街図と、ヴュルツブルク駅構内の書店で見つけた、ヴュルツブルクの歴史について書かれた日本語のガイドブックが頼りだ。
 名簿に記載されていた学生さんたちの住所をざっと見たところ、現在もほぼ同じ地名が使われているようだが、いったん壊された所に再建しているケースがほとんどだろうから、番地等が以前と同じ場所にあるのかどうかは定かでない。

a0021929_058396.jpg それでも、曾祖父が最初の一年間住んでいた住所と同じ番地を発見。Semmelstrasse9番地(赤矢印)。建物は1948年につくられたもの(あちらでは、建築年が彫られていたり描かれていたりする建物が多い)。
 が、残念ながら残り三年を過ごした住所は見つからなかった。帰国してからも色々調べたが、やっぱりわからなかった。

a0021929_0593683.jpg 旧大学。この塔も戦災に遭い、戦後に再建したという。ここが曾祖父が学んだ大学キャンパスだったのか……

 ヴュルツブルクで最も有名な観光スポット、マリエンベルク要塞に行ってみた。a0021929_1172581.jpga0021929_105234.jpg
 急な坂と果てしなく続く階段を、息を切らしながら登る。第二次大戦中には軍の施設として使われていたため、ここも戦争で完膚無きまでに破壊されたという。中世から近世にかけて、権力者たちがここから睨みをきかせていたというだけあって、眺めは抜群。
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 それにしても、眼下に広がるこの街並みが、ほとんど戦後に再建・復元されたものだというから驚くばかりだ。いったん失われてしまった市内の歴史的建造物を全て元通りに修復するために、どれほどの莫大な費用と時間と労力がかかったのだろうか。まったくもってすごいとしか言いようがない。
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 そういえば昼ご飯がまだだった……て、もう夕方四時過ぎかい。
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カフェで空腹を満たす。ミッションひとまず完了。

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by terrarossa | 2008-11-15 01:26 | 見聞録
2008年 11月 11日
曾祖父の足跡をたどる その三
 「第二次世界大戦による街の崩壊」というショッキングな事実を初めて知り、期待値と意欲はいちじるしく低下するも気を取り直し、翌々日、再びヴュルツブルクへ向かった。
 曾祖父がドイツへ留学していたという話は、当時のローカル新聞などにいくつか記事が残されていたのだが、なにせ100年以上前のこと、果たして本当にかの国の大学に籍を置いていたのか、それを証明する書類などはなく、まず、その確認をする必要があった。
 前述した森川先生の論文によると、ドイツの大学の多くは、歴代の学籍簿をきちんと保管しているという。となれば、ヴュルツブルク大学の学籍簿が閲覧できれば、何か手がかりがあるかもしれない。
 幸いにもドイツ出発直前、叔父が森川先生とメールでコンタクトをとることができ、「過去に調査した学籍簿の中に曾祖父らしき名前があったと記憶している」との報告をいただいた、という連絡が入る。少なくとも学籍簿は現存しているようだ。ここでようやくぼんやりではあるが、目標が見えてきた気がしたのだった。
  
 とはいえ、ドイツには全くアテもツテもないので、出たとこ勝負でいくしかない。ほとんど博打である。またの名を「無謀」とも言う。事前に大学へメール等で問い合わせするとか色々方法はあったはずだが、なんとかしようと大学のホームページを開いた途端、あふれかえるアルファベットの濁流に飲み込まれ、ヘタレな子孫の泥船はあっさり難破沈没。……だめじゃん。
 てことで、行けばなんとかなるかも……と、ろくに準備もしないくせに、かそけき期待だけは抱きつつ、ヴュルツブルク大学図書館へ。
 なお、現在の大学キャンパスは、市の中心部からバスで二十分ほど行った郊外の高台にある。

a0021929_3361937.jpgカメラのフレームに収まりきらないほどでかい、四階建ての図書館にびびる。

 語学力のなさをカバーするために、事前にたいへん長い時間をかけて作成しておいた問い合わせ文(あやしげな英語ともっとあやしげなドイツ語併記)を受付のお姉さんに見ていただく。あとはうっすら英語とお絵かきとゼスチャー。で、なんとか意図は伝わったようだ。係の人に連れられて、「4階」へ案内される。ここは一般の学生が自由に出入りできないフロアのようだ。

a0021929_337634.jpg閲覧室。年代物の文献が多数おさめられていた。

 出していただいた学籍簿は、数年ごとにまとめて製本されていた。100年以上経っているにもかかわらず、保存状態は大変良い。
 名簿には、学生の氏名、出生地、国籍、専攻、現住所が記載されていた。アルファベット順に並んでおり、順番にたどっていくと……あった!
 確かに、1888年から1892年の名簿には曾祖父の名前が記載されていた。正式にここの大学の学生だったということだ。
 感慨にふけっていると、司書の方が(この人は英語が堪能だった)「この名前の人が関係している文献は、もう一冊ありますよ」と教えてくれた。なんと、学位論文が残っているというのだ。「今ここにはないので、取り寄せは明日になるんだけど、それでもいい?」と訊かれる。ここまで来たからにはなんとしてでもそれを見たい。「もちろんです、あしたもきます!」と返答する。すると、別な職員の方が彼女になにやら話しかけてきた。彼女は「ちょっと待って」と言い、職員同士で打ち合わせ開始。ドイツ語なのでさっぱりわからない。しばらくして「今、持ってこられるかもしれないからここで待ってて」とのお言葉が。さらにその場で待っていると、小さな冊子が手元に届けられた。厚紙の表紙は後からつけたものらしいが、蔵書印が押してあり、間違いなくヴュルツブルク大学図書館の正式な蔵書だった。内容は三十数ページのドイツ語の論文で、タイプ印刷してあり、巻末に手書きの図版が赤の単色刷で添付されていた。学位論文自体は、ドイツから帰国後、曾祖父自身が日本語に訳したものの一部が専門誌に掲載されているのを確認しているが、その原本がこの冊子だということなのか……
 それにしても、街のほとんどが戦災で破壊されつくしたにもかかわらず、戦禍を免れてよくぞ残ってくれたものである。
 学籍簿、論文とも写真撮影は禁止とのことで、該当のページをコピーしてもらう。

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学籍簿の表紙とその内容。「バイエルン王立ユリウス・マクシミリアン・ヴュルツブルク大学在籍者一覧」


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曾祖父の学位論文。「卵巣皮膚様嚢腫ノ組織及原因ニ就テ」


 当初はどうなることかと思ったが、結果的には大収穫の図書館訪問だった。
 図書館スタッフの皆さん、突然訪れたあやしいアジア人だったにもかかわらず、親切に対応していただき、ありがとうございました(と、ここで日本語で感謝しても伝わんないよなあ……)。
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by terrarossa | 2008-11-11 03:50 | 見聞録
2008年 11月 07日
曾祖父の足跡をたどる その二 
 明治期のドイツにおける日本人留学生の動向については、広島修道大学・森川潤教授の書かれた論文で詳しく紹介されており、今回の調査を行うにあたって、たいへん参考になった。
 近代的な西洋医学を普及するにあたって、明治政府はドイツを手本とし、ドイツ人医師を招聘して教育にあたらせたことから、ドイツへ留学した日本人は医学専攻の学生が多かったという。曾祖父が留学していた1888年から1992年は、ドイツへの日本人留学生が急増していた時期で、ヴュルツブルク大学においても、三十人あまりの日本人が在籍していた。ヴュルツブルクは、日本文化をヨーロッパに伝えたシーボルトの故郷であり、ヴュルツブルク大学医学部は彼の出身校だったという関係からか、ヴュルツブルク大学における日本人留学生のほとんどが医学部に籍を置いていたそうだ。

 さて、レバークーゼンへ練習見学に行ったら練習日ではなかった日、スカを食らってさてどうしようということになり、それならばとヴュルツブルクへ向かうことにした。じっくり訪れる前に、ちょろっと下見しようと思ったのだ。こういうとき、乗り降り自由のジャーマンレイルパスは有り難い。
 さあ、120年の歳月を経て、いよいよ子孫がヴュルツブルク入りである。……と、大仰に煽ってはみたものの、ぼんくらな子孫、この時点では、ヴュルツブルクについて、ガイドブックに載っていた以上の知識は全く持ち合わせていなかった(ちゃんと下調べしとけよ)。またしても行き当たりばったりである。

a0021929_0113947.jpg駅に降り立つと、なんだか1960年代風簡素なデザインの駅舎が……あれ?

 ドイツの駅舎というと、

a0021929_0123289.jpgこんなのや(ヴィースバーデン中央駅)、

a0021929_0125731.jpgこんなの(マインツ中央駅)
というイメージがあるので、歴史ある町にしてはやけにあっさりしているなと思いつつ路面電車が行き交う通りを歩く。

a0021929_0132945.jpgやはり町並みはどことなく新しい。

a0021929_014162.jpgレジデンツや教会といった、おそらく歴史的な建築物だとおぼしきものも妙にきれいな感じがする。

 適当にあちこち歩いている内に夕刻になり暗くなってきたので、なんとなく違和感を覚えつつ、この日はいったん引き上げることにした。

 そして、思わぬところで思わぬ情報を得ることになった(だから事前に下調べしておけと)。
 下見を終えて帰る途中の列車、ヴュルツブルクからフランクフルトへ向かう途中のICE車内でのことだった。
 ちょっと話は逸れるが、ドイツのICE2等車の座席は、進行方向に応じて向きを変えることができる構造にはなっておらず、車両の中央を境に対面するようなスタイルで固定されている(昔の東北新幹線は、たしか座席が車両中央で背中合わせになるよう配置されていた)。中央の、ちょうど座席が向かい合わせになっているところには広めのテーブルが設置され、書き物をしたり食事したりするには都合がいい。今回たまたま空いていた席がこのテーブル席で、対面には、パソコンを操作しているおじさんが座っていた(ドイツの長距離列車内では、ノートパソコンを広げて仕事をしている人が大変多い)。テーブル席は、折り紙にも都合がいいのでさっそく店開きしてちまちま作っていたら、向かいのおじさんが声をかけてくれた。実はこの人はレーゲンスブルク大学の化学の教授で、仕事でフランクフルトへ行く途中とのこと。パソコンにはレーゲンスブルクの街の写真がたくさん入っており、スライドショーで観光案内をしていただいた。この先生に、ヴュルツブルク行きのことを話したら、「ああ、ヴュルツブルクは第二次大戦で街がほとんど破壊されちゃったから、歴史的な建物はみんな戦後に修復したものなんだよ」と言われ、ヴュルツブルクでの違和感の原因が一気に判明したのだった(ちなみにレーゲンスブルクは空襲の被害をほとんど受けておらず、古く美しい町並みのまま今に至っているのだという。今度はぜひ訪れてみたい)。
 ヴュルツブルクは、第二次大戦下の空襲によって、街の85%が壊滅状態になったのだそうだ。てことは、曾祖父がいた頃の街は、1945年に消滅してしまったということか……ドイツをはじめとしたヨーロッパでは、百年二百年前の建物が普通に使われているので、120年前そのままの街の面影を探すことについてはかなり期待していたのだが、ヴュルツブルクに関しては、それがほぼ不可能だということが、はからずもここで明らかになったのだ。な、なんてこった……
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by terrarossa | 2008-11-07 00:36 | 見聞録
2008年 10月 30日
曾祖父の足跡をたどる その一
 現地で試合観戦したレバークーゼンが、たいへん調子良い。現在暫定ながら首位。そして直接お会いしたマヌエル・フリードリッヒ選手が、なんと二試合連続ゴールを決め、さらにそれらの試合では、本業であるディフェンスにおいても無失点と、なんだか絶好調の模様。まさに「今後なおいっそうのご活躍」で、うれしくなると同時に、なんかこう、こっちも仕事頑張んなきゃな、というアゲアゲな気持ちになってくる(だからといってすぐに成果が出るような業種じゃないのがつらいところだが……や、地道にやっていこう)。

 今回のドイツ行きの目的は、サッカー観戦以外にもうひとつあった。実は「明治中期にドイツへ留学していた曾祖父の足跡をたどる」というミッションが科せられて(?)いたのだ。
 曾祖父は明治終期に若くして亡くなり、その末子である祖父も早世したので、どちらも自分は全く知らない。現在存命中の親戚で曾祖父を直接知る人は誰もいないが、現在、叔父が曾祖父(叔父にとっては祖父)について色々と調べているところだ。
 曾祖父はもともと会津藩の出身だという。幼少の頃実父を亡くし、間もなく始まった戊辰戦争によって母と姉と共に斗南に移住、その地で母も喪った。その後、函館に渡って医師の養子となり、自らも医学の道を志すことになった。
 ……というふうに、アウトラインの部分はわかっているのだが、それらひとつひとつについて掘り下げようとすると、途端に謎だらけになってしまう。晩年、曾祖父は函館で開業医をしていたが、その病院は二度の大火に遭っており、そのため当時の個人的な記録などはほとんど残っていない。過去帳もない。
 それでも、当時の新聞記事や文献などを丹念に調べた結果、ほんのわずかながら曾祖父のたどった道が見え始めてきた。叔父の調査はまだ続いており、こちらも調べものは嫌いではないので、時間があるときは図書館に通い、ゆかりの地だと思われる場所を訪れ、ルーツ探しに加わっていたところだった。
 そういうタイミングで、あくまでも「サッカー観戦」のための(ノリと勢いだけの)ドイツ旅行決定。叔父がこの好機を見逃すはずがなかった。即、連絡が入る。「向こうでなんでもいいから見つけてきて」。あのうドイツ語が全くできないばかりか英語もうっすらというワタクシに一体なにを見つけてこいと?

 ……かくして、曾祖父のドイツ留学から120年後、ひとりのぼんくらな子孫が、かの地を訪れる時が来たのだった。

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「かの地」ヴュルツブルク。登っちゃいたくなる気持ちがよくわかる眺めのすばらしさ。
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by terrarossa | 2008-10-30 00:01 | 見聞録
2008年 10月 26日
ドイツに泊まる
 ドイツ行きに当たっては、地理もわからず言葉もできない旅行者なので、それなりのホテルには泊まりたい、と思っていた。が、そのホテルが高すぎるのだ。特に大きな都市では、様々な見本市(メッセ)が開催されるので、メッセ開催期間中になると、料金がバカみたいに高くなる。そしてついこの間までのユーロ高。とてもじゃないが予算オーバーで、通常のホテル宿泊は断念せざるをえないことになった。
 ホテルが高いと感じているのは当のドイツ人も同じらしく、旅行者が宿泊するための様々なシステムあることを知った。B&B(ベッド・アンド・ブレックファースト)というのがその一つ。いわゆる「ベッドと朝食」を提供してくれる部屋を紹介してくれる。昨年のミュンヘン、今回のヴィースバーデンとも、この「B&B」のシステムを利用したが、宿泊先が、日本で言うところの民宿とはかなりイメージが違う。
 ミュンヘンでは、まったく普通の家庭の空き部屋を使わせてもらい、食事も家族や他の滞在者と一緒の、有料のホームステイのような感じだった。その家には、出張に旅行にと、様々な目的で入れ替わり人が泊まりに来ていた。宿泊費をもらい、それが生活費の足しになるとはいっても、見知らぬ他人をオープンに受け入れるその姿勢には少々驚いた。
 今回は、フランクフルトでそういった適当な部屋が見つからず、ヴィースバーデンの、アパートメントスタイルの部屋を借りることにした。
 このB&Bのシステムでは、インターネットサイトにたくさんの宿泊施設の場所、部屋の状況、アメニティ、食事提供の有無などの詳しい情報が掲載されている。宿泊申し込みをすると、サイト管理者がこちらが希望した宿泊先に問い合わせをし、宿泊可能かどうか知らせてくれる。宿泊可能の連絡が来て、正式に申し込みをすると、サイト管理者から、宿泊先の個人アドレスが送られてくる。あとは当人同士でやりとりしてね、ということなのだが、ここで言葉の大きな壁が……
 かといって今さら高いホテルには泊まるつもりはない。となれば昨年の苦労と疲労再びか……昨年同様、旅行日程と簡単な自己紹介文の作成だけだというのにべらぼーな時間を浪費。困難を極める中、先方と何度かメールをやりとりしてという、語学力ゼロの自分にとっては極めてハードな準備期間を乗り越え、いよいよ初めての町、ヴィースバーデンへ。

a0021929_4471677.jpg入口。外観はかなり古い建物。泊まった部屋は2階。

a0021929_4474780.jpgバスルーム。内部は改装されてぴっかぴか。美しい!

a0021929_448854.jpgうちのアパートより広い部屋。冷蔵庫、三つ口のコンロにオーブン、食器洗浄機までついたキッチン。鍋、フライパン、包丁などのキッチンツール完備。4~5人はもてなせるほどの食器、コーヒーメーカーもあった。ここまで台所が完璧だと、どこか外で食べる気も起きず(一人だし)、市場やスーパーで食材を買っては、ずっと自炊していた。おかげでかなり安上がりだったが、またしても正統なドイツ料理(?)を食べ損ねてしまった……

a0021929_4483099.jpg リビング側。カウチには枕と膝掛け、毛布まで置いてあった。ここでかなり長時間、だらだらとサッカー番組を見て過ごした。せっかくドイツまで来たというのに、日本人的にありえない時間の使い方をしてしまった気が。奥が寝室。ダブルベッドがひとつ。

 1泊あたり40ユーロ(B&Bとしては贅沢な方)のいわゆる家具付きアパートで、ここに10日間滞在したのだが、きわめて快適にすごすことができた。
 このB&B、恐らくかなり当たり外れがあるんだろうけど、語学力があって、宿泊費を安く上げたい方にはオススメ。語学力がなくとも気力と体力と熱意で何とかなる……かも。
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by terrarossa | 2008-10-26 04:56 | 見聞録
2008年 05月 22日
期間限定
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田植えシーズンになると、にわかに出現する「ウォーターフロント」な夜景。
こんな写真、前にもどっかで撮ったよなあと思っていたら、日本じゃなかった。

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ベトナムの首都ハノイは、市街地の真ん中にどーんと湖が。
ホアンキエム湖と美しくライトアップされてる中央郵便局……そら確かにゴージャス度合は異なるが、似ているといえなくもない?
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by terrarossa | 2008-05-22 01:10 | 見聞録
2008年 01月 28日
冬らしい冬の夜
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さーて、どこまで伸びていくんだか。
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by terrarossa | 2008-01-28 02:10 | 見聞録
2008年 01月 07日
当世風ファッション
 十代後半以来の「中世ヨーロッパ萌え」再びか、てな状況になっている今日この頃。そういえば以前から気になっていたことがある。

 キリスト教権力が強大だった中世からルネサンス期のヨーロッパでは、盛んに宗教画が制作されていた。宗教画というからには、新約聖書・旧約聖書にもとづいた内容、つまり紀元1世紀前後の時代を描いているということになる。なのに、絵の中の人物たちは、作品が制作された時代の服装をしているのだ。

 たとえば、ボッティチェリの有名な絵画「東方三博士の礼拝」。イエス・キリストの誕生を祝し、三人の賢者が訪れる場面を描いたものだ。だが、登場人物の服装は、この絵が描かれた15世紀後半のイタリア・ファッションなのである。この絵自体、当時フィレンツェで絶大な権力を誇っていたメディチ家の人々を描くのが目的だったというけれど、わざわざマタイ福音書に書かれている場面に彼らをあてはめているのに、今風に言えば、「モデルさんたちにコスプレさせていない」のである。今見るから、15世紀後半のファッションもじゅうぶんコスプレみたいに見えるんだが、当時の人からしたら、さしずめこんな感じだろうか。
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現代日本におきかえてみた。なんじゃこりゃ。

 たくさんの画家たちが描いた聖母マリアについても同様。やはりモデルさんはコスプレしていない。もしかすると当時の人々は、描かれた聖母マリアを聖母マリアとして見ていたというよりは、当世風のドレスに身を包んだファッショナブルなマリアを「モデルはどこどこの令嬢だれだれという噂だ」、とか「あのマリアは実は売れっ子No.1の娼婦なにがしらしいぜ」、とかいった俗な視点からとらえて盛り上がっていたのかもしれない。

 だが、十六世紀も後半になってくると、次第に絵画制作年当時のファッションとはずれが生じてくるようになるのがわかる。
 聖書中の人物に当世風ファッションを持ち込まなくなっていく時期と、ルネサンス期の終焉・近代の始まりは微妙に重なっているような気がする。
 
 キリスト教支配でがんじがらめになっていた息苦しい世の中で、人々は、そこらじゅうにあふれかえる宗教的な制約や事物のなかから巧妙に娯楽やちゃかしの素材を見つけたり作ったりすることで、ささやかな息抜きをしていたのだろう。だから、聖書上の人物が、やけに身近な、時代考証無視のイマドキな装いをしている必要があったのだし、制作する方も、あくまで正当な宗教的作品という薄衣をまといつつ、潜在的には大衆の心理に応え、あえてみんながツッコミやすい作品を世に出していったのか……
 しかし、時代が変わり、教会の勢力が衰えていくにつれて、宗教画や宗教にもとづいた様々なモチーフは、以前ほど人々の生活やメンタリティに影響を及ぼさなくなっていった。そうなるとわざわざ宗教的素材のなかにネタを見いだす必要もなくなっていき、宗教画は純粋に宗教画としての役目だけ担っていればよくなったのではないか……などという妄想が湧いてきたりもするんだが。
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by terrarossa | 2008-01-07 02:45 | 見聞録
2007年 09月 30日
"Origami"の威力
 遅い夏休みをとって、1週間ほどドイツへ行ってきた。
 ヨーロッパは遠い。
 機内あるいは空港での長い待ち時間をつぶす有効な手段が折り紙だ。海外旅行に折り紙は欠かせない。
 そしてこれがなぜだか、特に欧米圏の人にウケる。
 折り紙は、海外でもそのまま"Origami"という名で認知されている。だが、実践する人はほとんどいないとみえて、目の前で鶴や星や花を折ってみせると、ものすごく驚かれる。そしてそれをプレゼントすると、そんなたいしたものではないにもかかわらず、こちらが恐縮するほど喜んでくれる。
 
 機内での長丁場をしのぐためには、複数の折り紙を組み合わせて作る「ユニット折り紙」が最適だ。できあがるまで時間はかかるが、単純なルーチンワークなので、それほど難しいものではない。日本のチョコレートやガムの包み紙なら、サイズの等しいきっちりした長方形だから、わざわざ折り紙を買わなくても、正方形に切って代用できる(中身を食べたら捨てられてしまうような紙ですらも律儀に同じサイズにそろえてつくるあたりが、日本的コダワリというかなんというか)。
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 写真は30枚のユニット。左から、1.5㎝角の折り紙(千羽鶴用の折り紙を1/4に切った)、ロッテ・ガーナチョコレート、グリコ・キスミントガムの包み紙で作成。
 このユニット折り紙が、かの国の人々に与えるインパクトは更に大きくなる。言葉が不自由でもなんとかコミュニケーションを図りたい時に、絶大な効果がある。元手がほとんどかからないこの"Origami"のおかげで、何度いい思いをし、何度助けられたことか。
 ということで、いつになるかわからないが、次の旅行に向けて更に持ちネタを増やそうと、鋭意努力中のところである。
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by terrarossa | 2007-09-30 04:41 | 見聞録
2007年 03月 07日
異国の街で本屋のハシゴ
更新をさぼっていたら、もう3月になってしまった……

 海外へ行ったら必ず立ち寄りたいところは、市場(マーケット)と書店だ。たった数日の滞在では、ほんのさわりしか知ることができないけれど、市場で生活を、書店で文化を、少しだけかいま見ることができるような気がするからだ。
 台湾・韓国の都市部には大型書店が何軒もあり、本の種類も内容も非常に充実している。中国も同様で、膨大な本と売り場スペースをもつ書店は、大勢の人でごった返している。おそらく新刊書やベストセラー本だと思うが、同じ本が数十冊単位でアーチ状、らせん状などのアーティスティックな積み方をされていたのが中国。本が本ではなく、オブジェのパーツと化していた。人口が多いから、そのくらいの冊数はすぐさばけるということなんだろうか?
 一般書については、台湾、韓国、中国とも、いわゆるソフトカバーが中心で、ハードカーバーの書籍はほとんどない。ハードカバーの書籍が多い日本のほうが、世界的にはめずらしいのかもしれない。
 紙や印刷の質は、台湾・韓国は良く、中国はそれよりも数段落ちる、といったところだろうか。中国にも、おっ、いい紙で写真もきれいだ!という本もなくはないが、ちょっと開いたら「メリッ」といきそうなお粗末製本仕上げだったりすることも多々あり、なかなか油断ならない。
 ベトナムのハノイ、ホーチミンには、それなりの書店があった。ただし、品揃えはかなり貧弱。種類が少ないのか、同じ本を何冊も置いているし、わら半紙と大差ない紙質の本が多くを占める。印刷の質も良くない。
 欧米圏に関しては、文字だけの内容であれば、紙質にはこだわらない考え方のようだ。小説などは、ペーパーバックが大半だ。
 ロシアの商店は入口が小さく、外から見て内部がわかりにくい構造になっているので、本屋を探すのは至難の業。書籍は、やはりペーパーバック中心だが、鮮明な写真や図版が必要と思われる専門書まで、粗悪な印刷・わら半紙な紙質の本が多かった。
 ブルガリアは、そもそも本屋の数が少ないのか、町中歩き回ってやっと小さな書店に行き当たったというあんばい。紙や印刷の質はロシア同様で上等とは言えず、英語圏の書籍が混在していたりして、自国の本の種類は少ない。
 本の種類や質・量を充実させるには、生活以外の部分に金をかける精神的・経済的余裕がないとなかなか難しいだろう。書店の軒数、出版物の内容、体裁は、その国の豊かさや文化の成熟度合いと非常に密接な関係があるように思える。
 
 本の内容から、その国で何を重要視しているのかが、おぼろげながら見えてくる。職業柄、農業関係の本を中心に書店ウォッチングをしているところだが、国や地域によってジャンルに偏りがあり、それだけで、どこに気合いが入っているかが端的にわかってくる。
 ベトナムは野菜や果物よりも、鶏、豚、牛、水禽類と畜産関係の本が充実。ただし、文字と白黒図版のものが大半で、カラー写真等を使っている本は極めて少ない。
 ダーチャ(別荘)で菜園を持つ人が多いロシアは、家庭菜園本がメイン。寒冷地のため、栽培できる作物が限られているせいか、品目別の専門書はほとんど見当たらない。
 台湾は専門書が充実しており、特に果物・野菜の本が多い。一年中温暖な気象条件で、栽培可能な作物が多いことも関係しているのだろう。本の質も良く、カラー写真をふんだんに使ったきれいな本がたくさん出ている。
 中国では、近頃「環境」への関心が高まっている(または、高めてほしい)ようで、農業に関しても、農薬を減らしたり、有機質肥料を使ったりする技術書の出版が流行りのようだ。

 これらの国々のほとんどでは、書籍と雑誌はきっちり区別されている。台湾と韓国は雑誌を扱っている書店もあるが、その他の国では、書店に行っても雑誌は置いていないことが多い。日本の書店が、必ず雑誌を扱っているのとは対照的だ。雑誌は、駅の売店、街のキヨスク、あるいはコンビニで、たいていは新聞と一緒に売られている。

a0021929_23543455.jpg新聞・雑誌専門のスタンド(露店)。ブルガリアの首都、ソフィアでは、書店の少なさとは逆に、このような店が町中いたるところに点在。

a0021929_2355727.jpgロシア・ウラジオストク。雑誌専門キヨスク外観。雑誌がガラス窓の内側に貼り付けられている。ロシアではおなじみの「客が商品を手に取れない」スタイル。


 雑誌の紙質や印刷は、書籍の紙がわら半紙な国でも、かなり相当良い、というところが面白い。雑誌はコンスタントに売れるので、それだけ金をかけてもペイできるってことか。

a0021929_2355367.jpga0021929_23555213.jpgベトナムのブライダル雑誌。書籍のお粗末さとは対照的に、日本の女性誌を彷彿とさせる、ゴージャスかつ重量感溢れる体裁。これで殴られたらおおごとである。印刷の質もまあまあ。

a0021929_23562115.jpga0021929_23563312.jpgレフスキ・ソフィア(ブルガリアのプロサッカーチーム)の広報誌。紙はまずまず、写真もきれい。

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by terrarossa | 2007-03-07 00:15 | 見聞録