2008年 11月 07日
曾祖父の足跡をたどる その二 
 明治期のドイツにおける日本人留学生の動向については、広島修道大学・森川潤教授の書かれた論文で詳しく紹介されており、今回の調査を行うにあたって、たいへん参考になった。
 近代的な西洋医学を普及するにあたって、明治政府はドイツを手本とし、ドイツ人医師を招聘して教育にあたらせたことから、ドイツへ留学した日本人は医学専攻の学生が多かったという。曾祖父が留学していた1888年から1992年は、ドイツへの日本人留学生が急増していた時期で、ヴュルツブルク大学においても、三十人あまりの日本人が在籍していた。ヴュルツブルクは、日本文化をヨーロッパに伝えたシーボルトの故郷であり、ヴュルツブルク大学医学部は彼の出身校だったという関係からか、ヴュルツブルク大学における日本人留学生のほとんどが医学部に籍を置いていたそうだ。

 さて、レバークーゼンへ練習見学に行ったら練習日ではなかった日、スカを食らってさてどうしようということになり、それならばとヴュルツブルクへ向かうことにした。じっくり訪れる前に、ちょろっと下見しようと思ったのだ。こういうとき、乗り降り自由のジャーマンレイルパスは有り難い。
 さあ、120年の歳月を経て、いよいよ子孫がヴュルツブルク入りである。……と、大仰に煽ってはみたものの、ぼんくらな子孫、この時点では、ヴュルツブルクについて、ガイドブックに載っていた以上の知識は全く持ち合わせていなかった(ちゃんと下調べしとけよ)。またしても行き当たりばったりである。

a0021929_0113947.jpg駅に降り立つと、なんだか1960年代風簡素なデザインの駅舎が……あれ?

 ドイツの駅舎というと、

a0021929_0123289.jpgこんなのや(ヴィースバーデン中央駅)、

a0021929_0125731.jpgこんなの(マインツ中央駅)
というイメージがあるので、歴史ある町にしてはやけにあっさりしているなと思いつつ路面電車が行き交う通りを歩く。

a0021929_0132945.jpgやはり町並みはどことなく新しい。

a0021929_014162.jpgレジデンツや教会といった、おそらく歴史的な建築物だとおぼしきものも妙にきれいな感じがする。

 適当にあちこち歩いている内に夕刻になり暗くなってきたので、なんとなく違和感を覚えつつ、この日はいったん引き上げることにした。

 そして、思わぬところで思わぬ情報を得ることになった(だから事前に下調べしておけと)。
 下見を終えて帰る途中の列車、ヴュルツブルクからフランクフルトへ向かう途中のICE車内でのことだった。
 ちょっと話は逸れるが、ドイツのICE2等車の座席は、進行方向に応じて向きを変えることができる構造にはなっておらず、車両の中央を境に対面するようなスタイルで固定されている(昔の東北新幹線は、たしか座席が車両中央で背中合わせになるよう配置されていた)。中央の、ちょうど座席が向かい合わせになっているところには広めのテーブルが設置され、書き物をしたり食事したりするには都合がいい。今回たまたま空いていた席がこのテーブル席で、対面には、パソコンを操作しているおじさんが座っていた(ドイツの長距離列車内では、ノートパソコンを広げて仕事をしている人が大変多い)。テーブル席は、折り紙にも都合がいいのでさっそく店開きしてちまちま作っていたら、向かいのおじさんが声をかけてくれた。実はこの人はレーゲンスブルク大学の化学の教授で、仕事でフランクフルトへ行く途中とのこと。パソコンにはレーゲンスブルクの街の写真がたくさん入っており、スライドショーで観光案内をしていただいた。この先生に、ヴュルツブルク行きのことを話したら、「ああ、ヴュルツブルクは第二次大戦で街がほとんど破壊されちゃったから、歴史的な建物はみんな戦後に修復したものなんだよ」と言われ、ヴュルツブルクでの違和感の原因が一気に判明したのだった(ちなみにレーゲンスブルクは空襲の被害をほとんど受けておらず、古く美しい町並みのまま今に至っているのだという。今度はぜひ訪れてみたい)。
 ヴュルツブルクは、第二次大戦下の空襲によって、街の85%が壊滅状態になったのだそうだ。てことは、曾祖父がいた頃の街は、1945年に消滅してしまったということか……ドイツをはじめとしたヨーロッパでは、百年二百年前の建物が普通に使われているので、120年前そのままの街の面影を探すことについてはかなり期待していたのだが、ヴュルツブルクに関しては、それがほぼ不可能だということが、はからずもここで明らかになったのだ。な、なんてこった……
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by terrarossa | 2008-11-07 00:36 | 見聞録


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