2004年 07月 03日
ユジノサハリンスクからポロナイスクへ その2
a0021929_21535.jpg 地平線をどこまでも縁取る落葉松の林が、ぐんぐん近づいてきた。小さなプロペラ機は着陸もあっという間だ。

 首都モスクワからはるか遠く離れた「最果ての州都」の滑走路に、タラップが降ろされる。憂鬱な曇天の空が、頭上に重苦しく広がっている。刺すような冷たさの風には霙がまじっていた。サハリンはもう冬なのだ。
 フロントガラスが派手に割れた油臭いバスにぎっしり押し込まれ、空港の建物に運ばれる。以前行ったモスクワでも、トルクメニスタンのアシガバードでも、チャルジョウでも、乗車したバスのフロントガラスには、ことごとく大きなひびが入っていた。ここでも同様ということは、これが旧ソ連邦の「お約束」なのかと勘繰りたくもなる。

 駅に背を向けて、いまだに堂々と立っているレーニン像のそばに、予約したホテルはあった。「ルィバーク・ホテル(訳すと「漁師ホテル」と言うらしい)」という名の安ホテルは、サハリンを訪れる日本人には滅多に利用されていないとのことだった。なるほど、フロントのおねえさんは日本語どころか英語も全く通じない。この時点で、ロシア語が一言もできないで一人旅をすることの無謀さにあらためて気付く。が、今更後悔したところで、どうにもならない。持参した「ロシア語会話集」を指さしながら何とか意思疎通をはかる。
 質素な部屋はがらんと広く、いかにも大味な「ロシアのホテル」といった風情だった。こんなに部屋は広いのに、家具とベッドは異様に小さく、特にベッドは、函館空港へ行くために乗車した「北斗星」のB寝台のほうがまだましかと思えるほど、幅が狭かった。これでは寝返りもうてないではないか。
 一方、何も入ってない冷蔵庫だけはやたら大きかった。以前宿泊した別な都市でのホテルでも全てそうだったのだから、これも旧ソ連流と言うべきか。
 背もたれのない長椅子のような狭いベッドに横になり、本日の記録をメモしていると、突然ばちんと音がして明かりが消えた。停電だった。五分ほどして、明かりがついた。が、更に十五分後、再び停電が五分間。やれやれと思っていたら、三十分後にまた停電。時刻はというと、夜八時を回った頃。ゴールデンタイムである(ロシアにもゴールデンタイムってあるのだろうか?)。電力不足のための計画的な停電というにしては、あんまりな時間帯だ。これでは、バッテリーのついてないパソコンなど、絶対に使えない。この街のオフィスでは、突然の停電に備え、さぞかし厳重な対策をとっているに違いない(と、思いたい)。少なくとも自家発電装置は不可欠だろう……

 停電続きだし、疲れを翌日に持ち越すのは良くないと思い、さっさと眠ることにしたが、どうも落ち着かなかった。この「落ち着かなさ」が、低周波音が全く聞こえてこないためだと気付くのに、しばらく時間がかかった。自分はこんな所で、蛍光灯、冷蔵庫、空調に至るまであらゆる低周波音に囲まれて日常を過ごしていたことに初めて気付かされたのだった。さほど遅い時刻でもない。しかもここは市の中心部で駅前なのだ。まさか耳鳴りがするほどの静けさに悩まされるとは思ってもみなかった。
 
 霙は、夜半に雪へ変わったらしい。
 いっそう静かな夜に押しつぶされようにして、いつしか眠りに落ちていた。
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by terrarossa | 2004-07-03 02:16 | 見聞録 | Comments(0)


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