2004年 06月 23日
見る、見る、見る、描く
ものすごく久しぶりに絵を描いてみた。

色鉛筆画は2年ぶりくらいかもしれない。
ほんとうに気が向いたときしか描かないので、いつもそんなペースだ。
でも始まると、「寝ない、食べない、トイレも行かない」くらい夢中になる。
描く作業に集中している時間がとても好きだ。

描くという行為は、その対象を深く理解するための非常に有意義な手段だと思う。
たとえ仕上がりがへぼだったとしても、正確に描写しようと思う気持ちが強ければ強いほど、あらゆる部分の細部まで見るからだ。
色鉛筆画に関して言えば、自分の場合、「生物の標本スケッチ」がそもそものスタートだったせいか、いかにモノやヒトのかたちを客観的にとらえるかという点ばかりに関心が行ってしまい、内面の心理や造形の美といった情緒的でアーティスティックな方面への興味はいつもお留守になってしまう。
部品はどのように組み合わせられているのか、ネジの部分はどのような形になっているか。
普段意識して見ないような部分まで凝視することになる。集中すればするほど、そこへのめり込んでゆく。
相手が人物でもそれは同じ事だ。

だが、そのように深く「見る/見られる」関係にあるものが生身の人間と人間であった場合、しばしば事態は、単純に「絵を描く」という範囲を超えるものとなるらしい。
先日、「真珠の耳飾りの少女」という映画を観た。実在の画家、フェルメールをめぐるフィクションなのだけれど、俳優の演技は言うまでもなく、フェルメールの絵の世界がそのまま動いているようなセット、色彩がとりわけ素晴らしかった。
そして何よりも、絵を描くという行為がもたらす様々な事象を非常に丁寧にわかりやすく描写していて、そういう点で非常に気持ちのよい作品だった。

もっとも、当の自分がどうかといえば、身辺に居る訳でもない二次元の世界の人物ばかり描いている(従って、他者とどうこうなんてことは全く無い)。技術はぜんぜん伴ってないし、マスターベーションと言われても仕方ないけど、ルーツが「生物の標本スケッチ」だもの、そんなところが妥当か。
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by terrarossa | 2004-06-23 02:37 | 見聞録


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