2006年 08月 19日
キングダム・オブ・ヘブン(2005、アメリカ) 
 映画「キングダム・オブ・ヘブン」は12世紀に実在した人物やできごとを描いている。オーランド・ブルーム演じるバリアンという人物は、実在したエルサレムの領主で、イスラムとの攻防戦を行い、人質となった領民の解放に外交的手腕を発揮したという。
 ……ということなのだが、史実を描いたにしてはずいぶんとファンタジックで甘い展開。あれれ?と思っていたら、案の定、史実のアウトラインをなぞっただけのフィクションだったということを知って納得。
 映画の中で、若きバリアンは名もない鍛冶屋として登場し、突然現れた実の父によって自分の出自を知り、騎士として新たな人生を歩んでゆく。実際はというと、バリアン・オブ・イベリン(Balian of Ibelin)、その名の通り「イベリン(という領地)のバリアン」は、高名な騎士の庶子などではなく、エルサレムちかくにあったイベリンの領主の三男(末子)として育ち、兄たちの早世によって後継者になったというのが事実のようだ。ボードワン四世の妹姫とのロマンスや、何もかもけりがついた後にふたりでいずこともなく去っていく、などというエピソードは映画の中での創作だろう。そこはあくまでも娯楽時代劇、ということで。
 とはいえ、実際のバリアン自身の生年もはっきりせず(没年は1193年)、歴史上「暗黒中世」と呼ばれ、きわめて資料の少ない時代を題材にしているこの映画自体、衣装や美術や戦闘シーンのディティールへのこだわりはあっても、史実がどうのということはさほど重要視していないようだ。はからずも指導的な立場に導かれてしまった一人の青年がどう成長し、リーダーとしてどのように仕事をしていったのかというアクションの部分が、この映画の見どころだろう。マッチョイメージ皆無の、どこか頼りなげな感じのするオーランド・ブルームが指導者役というのは、ステレオタイプの娯楽映画として見れば弱いところだけれど、等身大のキャラクターとして身近に感じるという点ではかえって効果的だったように思える。
 戦争回避のため、最後まで奔走し続けたバリアンだったが、それが叶わないとなれば、町と領民を守るために毅然と戦う。敗色濃厚となれば降伏の決断を下し、領民が犠牲とならぬよう、できうる限りの方策を考え、行動する。
 そう、大きな組織で仕事をしていると、しばしば自分の信念とは反することをやらなくてはいけなくなる事態が生じる。まして管理職になれば、自ら望んでなった者もそうでない者も、個人的葛藤は胸の内にしまいこんで、それを他人(部下)に指示しなくてはいけなくなる。おのれの信念のみを貫こうとすれば軋轢が生じることは必至で、組織が組織としてたちゆかなくなることもあるし、かといって常に個を押し殺して仕事を遂行していけば、組織は望ましくない方向へ暴走していく危険性がある。組織を率いる者として、個人としてどう折り合いをつけ、より良い方向にみちびいていくか、そのすべてがリーダーの裁量に委ねられるのだ。だが、その組織が大きければ大きいほど、その評価は後世まで待たなければならない。ただし、評価といっても「正義」はいつも勝者のものだ。絶対的な正義などありはしない。
 
 バリアンの生年は不詳だが、彼の父親は1150年に死亡していると記録にある。このことから、史実上の彼は、演じたオーランド・ブルームの実年齢よりももっと上で、エルサレム攻防の頃には少なくとも三十代後半か四十代前半になっていたと思われる。
 そしてまさにその頃、遠い東の国では源氏と平家の争いが繰り広げられていた。源義経とバリアン・オブ・イベリン……物理的にも遠く、まったく関連のない両者であるが、戦いに明け暮れていた時期が同じであるということ以上に、どうにも上手く説明できない、奇妙な符丁を感じるのだ。バリアンにも義経にも、エルサレムと平泉という「キングダム・オブ・ヘブン」が存在したからなのだろうか。
 実際のバリアンは、義経よりもその兄、頼朝の年齢に近かったようだ。ともあれ、同時代に歴史の表舞台に現れたふたりが、日本とアメリカという遠く隔たった地で、同年(2005年)にドラマ・映画の題材としてとりあげられたのも、また奇妙な偶然と言うべきか。
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by terrarossa | 2006-08-19 03:56 | 映画


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