2004年 05月 23日
夜な夜なラジオを聴いていた
 1970年代後半から80年代前半にかけて、海外のラジオ放送を楽しむ、いわゆるBCL(Broadcasting Listener)ブームというのがあった。単に聴くだけでなく、受信報告書をラジオ局に送ると貰えることもある「ベリカード」を収集したり、遠方の局や地下局の受信に技術を駆使して挑戦したり、特定の国の放送局にハマってみたり。人によって楽しみ方は色々だった。インターネットの概念など、まだ無かった(か、一般には知られていなかった)時代である。
 小学校5年生の時、ある夜、部屋でラジオをいじっていたら、突然、妙なイントネーションの日本語で「こちらはKBS、ラジオ韓国です」というアナウンスが飛び込んできた。それが全ての始まりだった。
 そういえば近所の中学生が短波ラジオを持っていて、「海外放送ジュシン」とやらに熱心に取り組んでいた。彼らの間では、「SINPOコード」とか「ベリカード」とか、何やら意味不明の言語が交わされていたが、つまり、このことだったのか!
 自宅の部屋に居ながら、海外の生の声を直接聴くことができるという事実に、単純な自分はひどく感動し、瞬く間にBCLの虜となってしまった。とは言っても短波が受信できるラジオは、当時、ちょっと小遣いを貯めたからといって買えるような値段ではなかった。で結局、高校卒業までは中波ラジオで受信できる近隣諸国の放送を聴いては受信報告書を書き、放送局から送られてきたベリカードやカレンダーを眺めては、ひとり国際的感動(?)にひたっていたのだった。
 BCLにハマった頃は、冷戦真っ只中。モスクワ放送が枕詞のように「アメリカ帝国主義の謀略は……」などと繰り返していた。いつも軽めのポップスが流れているソ連の「マヤーク放送」が、ある日突然クラシック音楽ばかりになって変だなと思っていたら、書記長が亡くなっていたというニュースが後から報道された、なんて生々しいこともあった。

 80年代も半ばを過ぎ、BCLブームがすっかり下火になった頃、やっと短波ラジオを購入。長いアンテナを室内に張り、遠くの局を狙うようになった。そんなある日の深夜、とある周波数に合わせたところ、突然聞こえてきた妙なポップミュージック。や、確かに楽器も曲調も欧米ポップスのそれなのだが、なにか違う。微妙なアラビアン・テイストがそこかしこに漂っていたのだ。この絶妙なさじ加減ときたら、「エキゾチックな魅力満開の斬新さ」と「限りなくダサダサな田舎臭さ」との狭間でぎりぎりのバランスを保っているという感じ。もしかしたらこれは「欧米人がJ-POPを聴いた時に感じる心境」なのかもしれない。言語にしろ音楽にしろ、なりきっているつもりでも当人にはわからない微妙な違いというものはあるのだなあ、ということが非常にわかりやすく実感できた一件だった。ちなみに、この音楽を流していたのは、「アラブ首長国連邦の声・アブダビ」という放送局。
 この後、湾岸戦争が勃発するのだが、この時もニュースで大々的に報道されるより先に、いつも受信できていたラジオ・クウェートが突然受信できなくなるという異変があった。
 
 今や世の中は、インターネットで世界中の情報が個人で簡単に入手できる時代になった。アンテナ線を張り巡らし、フェージングと格闘しながら、耳ダンボ状態でやっとこさ情報を得るなどという非効率的な手段をとる必要はなくなったのだ。そりゃ便利になったとは思うけど、何だか味気ないし、まるで実感が湧いてこない。
 はるばる海を越えて届いてくる雑音混じりのご当地ポップスや、様々な言語のニュースをよく意味もわからないまま聞いていた時の方が、かえってナマの世界情勢を肌で感じていたような気がするのは、なぜなんだろうなあ。
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by terrarossa | 2004-05-23 04:41 | 見聞録


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