2004年 12月 15日
カップ・ファイナル(1991、イスラエル)
a0021929_1183699.jpg 舞台は1982年のレバノン。イスラエルの兵士、コーエンは、念願だったワールドカップ(サッカーワールドカップ・1982年スペイン大会)のチケットを手に入れ、まもなく迎える除隊の日をうきうきと心待ちにしていた。ところが、除隊直前に始まったレバノン侵攻に参加させられた彼は、PLOのゲリラの襲撃を受け、捕虜になってしまう。ゲリラたちはPLOの本拠地、首都ベイルートへ向かう。徒歩で廃墟を転々としながらの移動のさなか、コーエンとゲリラのリーダー、ジアドは、ふとしたことで互いにサッカーファンであることを知る。しかも贔屓は同じイタリアチーム。ほのかな友情が芽生えた瞬間だった。
 彼らは道中、ひまつぶしにサッカーをしたり、立ち寄った家で、その家の結婚式に参加したり、開催中のワールドカップの試合を仲良くテレビ観戦したりするようになる。
 とはいえ、彼の「捕虜」という立場は変わらない。ゲリラのメンバーの中には、「憎きユダヤ人」の彼に虐待を加えようとする者もいるし、少しでも不審な行動をとれば、すぐに銃口が向けられる。トイレの紙も与えられなかった(これは虐待というより、アラブ人が紙ではなく、左手を使うという習慣のあることが関係しているのだと思う)。困り果てた彼が尻を拭くのに使ったのは、財布に入っていたワールドカップのチケット3枚のうちの、2枚だった。
 幾人かの犠牲者を出しながらも、彼らはついに首都ベイルートに到達する。だが、既にイスラエル軍は街を包囲していた。ジアドはコーエンに、自分たちと別れて仲間のもとへ帰るよう伝えた。コーエンは、1枚だけ残っていたワールドカップのチケットを友情の証としてジアドに手渡した。それは今まさに行われている決勝戦(カップ・ファイナル)のチケットだった。
 夜の闇にまぎれ、非常線を突破しようとするゲリラたちに、容赦なく銃撃が加えられる。ワールドカップ実況中のテレビには、優勝したイタリアが賞杯を受け取る瞬間が、歓喜の雄叫びを上げるマルコ・タルデリの姿が、映し出されていた……
 
 かつて、NHK教育テレビに「アジア映画劇場」という、日本ではあまり知られていないアジア地域の映画を放映してくれる番組があった。数多くの未公開映画を、全国どこに住んでいても日本語字幕付きで見られる貴重な機会だっただけに、放送終了してしまったことを非常に残念に思う(その後、アジア以外の地域も対象とした「シネマ・フロンティア」という後発番組があったのだが、どうやらそれも終了してしまったらしい)。
 「カップ・ファイナル(Cup Final)」(Eran Riklis エラン・リクリス監督)は、今から10年ほど前に「アジア映画劇場」でたまたま見た映画だった。なぜかひどく印象に残り、もう一度見たいと思っていた。が、内容はと言うと、華やかさゼロで、出てくるのは濃い系ひげ面の男ばかり。敵同士が友情を結ぶという点は韓国映画「JSA」と同じだが、イ・ヨンエに当たるキレイドコロは出てこない。派手なドンパチも恋愛沙汰もエロも皆無。個人的には、まさにその点こそが気に入ったし、よくできた作品だと思ったのだが、そういう地味な映画が一般受けするはずもない。日本においては、1994年のイスラエル映画祭で上映されたという記録は見つけたが、その後、公開もビデオ化もされた様子はない。もう一度と願ったところで、これは無理だな、とすっかり諦めていた。
 ところがつい先日、アメリカでDVDになっていることを知り、即購入。思いがけず再び見ることが叶ったのだった。
 だが、アメリカ版DVDゆえ、ヘブライ語とアラビア語の会話部分には英語の字幕がつけられていたが、英会話部分には当然何もなし。母語の違うユダヤ人とパレスチナ人は英語で意志疎通をはかっていたので、肝心なやりとりの部分だけ字幕がない、という悲惨な状況(TдT)←珍しく顔文字。理解不能の部分があまりにも多く、見終わらない内に、危うく挫折しそうになった。

 エラン・リクリス監督は1954年生まれでエルサレム出身。数多くのコマーシャルフィルムやドキュメンタリーを製作していく中、長編映画を手がけるようになったという。なお、彼の最新作「Syrian Bride」は、2004年のモントリオール世界映画祭でグランプリを受賞している。
 イスラエル映画については、エイタン・フックス監督の「Yossi & Jagger」と、先日東京フィルメックスで上映した、アモス・ギタイ監督の「プロミスト・ランド」くらいしか見ていないので、かの国の映画事情はよくわからない。ただ、見た映画の3本とも、自国の抱える矛盾や問題点をあえてさらけ出して作品にしようとする、作り手の強烈な意志を感じるものだった。
 「カップ・ファイナル」は、戦争のばかばかしさや残酷さを、かなり直裁に描いた作品と言える。にもかかわらず、重すぎず深刻になりすぎてもいないのは、サッカーという題材をうまく使っているからだろう。サッカーはまさに世界のスポーツなのだな、と思った。球状の蹴るもの(ボール)と、枠囲みのゾーン(ゴール)があればいいから、貧しくてもなんとかなる。しかも、みんなで楽しめる。言葉はいらない。理屈もいらない。戦場で突然出会った敵同士であっても、同じサッカーファンで、贔屓のチームまで一緒なら、友情を感じたってちっともおかしくはないのだ。
 
 この映画に変化球は使われていない。予想したとおりのラストシーンが待ち受けている。だが、それがわかっていながら、いや、わかっているからこそ、やりきれない。
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by terrarossa | 2004-12-15 01:35 | 映画 | Comments(2)
Commented by サンカ at 2004-12-15 18:06 x
テラロッサさん、復活しましたね!よかった!テラロッサさんはこうでなくちゃね(^^)

「アジア映画劇場」あ~、懐かしいなあ!
Commented by terrarossa at 2004-12-23 00:36
ここ数か月は、何か書こうとしてもPCの前でかたまってましたからね……それに比べたら良くはなりました。
「アジア映画劇場」、これが無かったら今の自分はなかった、かも。


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