2004年 12月 05日
「似水柔情」 ~映画「東宮西宮」原作小説について
a0021929_9391861.jpg 映画「東宮西宮」は、「似水柔情」という小説をもとに作られた作品である。
 原作小説の作者、王小波は、現代中国の有名な作家で、1997年、45才という若さで亡くなっている。彼の妻、李銀河は社会学者で、80年代の終わりから90年代にかけて、中国の男性同性愛者についての著作をいくつか発表しており、このことが王小波の創作活動に影響を与えたようだ。

 ということで、中国語の原作小説「似水柔情」を辞書首っ引きで、蟻の歩みの如くじりじりと読み進めたのだが、小説と映画とでは、肝心な点が全く違っていた。
 
 小説は、警官・小史が、アラン(阿蘭)が香港から送った郵便物を受け取ったところから始まっている。
 封筒の中身は薄い一冊の本だけ。映画では、彼がアランから本を受け取った後、あの「長い一夜」を迎えるという構成になっていたが、原作では、「あの夜」が終わって一年後に、アランから本が送られてくる。アランが書いたという本の内容は、映画にも出てきた「女賊」の話。そして物語は、小史が送られてきた本をめくりつつ、アランとのことを回想する、という形式で進んでいく。
 原作のアランは年若い警官の小史よりも十歳ほど年長の人物として設定されており、この点も映画とは違う。もし原作を忠実に再現するとしたら、アラン役はレスリー・チャン以外には考えられない(←単なる自分の思いこみである)。ちなみに、実際のレスリーも「東宮西宮」のこの役に興味を示したという記事を見たことがある。
 映画との最大の相違点だが、それは「あの夜」に小史とアランが最終的な肉体交渉を持つに至っている所。そして、そのことによって、小史が自らを同性愛者であると認める点である。
 「相違点」という表現を使ったが、却って映画の後日譚と解釈した方がしっくりくるのかもしれない。なぜなら小史はアランと別れた後になって、アランを愛している自分に気付く、とあるからだ。
 映画では少ししか登場してこなかった「公共汽車(バス)」という女性は、小説では「アランの妻」として、キーパーソンとでも言うべき重要な役割を担っている。アランの最大の不幸は、「公共汽車」を本当に愛してしまったこと。しかし、やがてアランは小史という運命の男と出会ってしまう。小史と肉体関係を結んだ翌朝、帰宅したアランは、「あなたは私を愛していない」と泣く妻に対して、ただ「体液を排泄」するためだけのセックスをする。昨夜小史が自分にしたのと同じように。
 かたや小史は、別れたアランへの想いがつのる一方(肉体関係を結んだ時点では、小史はアランのことを全く愛していなかった。ゆえに、二人は別れてしまう)。アランから届いた郵便物に手紙も何も入っていなかったことに落胆し、小説の内容が「彼らの愛を描いたもの」ではなく「ただの歴史小説」だったことに失望する。
 そしてある夜、勤務中の小史の元へ一人の警官がやって来て、彼の解雇を言い渡す。「同性愛者はこの職務に不適格である」と。派出所を追い出された小史。もう家に帰るつもりはなかったが、かといって行くあてもなく、眼前には夜の闇が果てしなく広がっているばかり……という、映画で胡軍が演じていた人物こそ小史、と刷り込まれていた者にとっては、ある意味衝撃的な結末が待ち受けている。

 原作小説を読んでみてあらためて思ったのは、「東宮西宮」という映画の完成度の高さだった。あえてギリギリのところまで削りに削った作り方をしており、そのストイシズムにこそゾクゾクしたのだが、原作小説の世界が持つ奥行きの深さを知って、また映画の魅力が増したという感じだ。同じでいて、違っていて、面白い!というところか。
 原作小説は、映画を見た人にとって、他にも「おおっ」と思わせるような小ネタが随所にあって楽しめると思う(なんと「ラーメンを食うシーン」は原作にもちゃんとあった!ということは、あれは原作に基づく正しいシーンなのだな)。いや、「楽しめる」ほどの語学力が自分にもあれば……燃える下心(!)で全力疾走しても、いかんせん限界というものが。

 今、手元にあるのは、「時代文芸出版社」出版(中国・長春)の「地久天長-王小波小説劇本集」というタイトルの本だ。これは中国書籍を扱う日本の書店からインターネットを通じて入手した。インターネットって素晴らしい。
 この本には、十編の短編小説と共に小説「似水柔情」と「東宮・西宮」電影劇本(映画の脚本)、そして「東宮・西宮」話劇劇本(舞台劇の台本)が収められている。
 なお、電影劇本および話劇劇本は、張元(映画「東宮西宮」の監督)との合作である、とある(電影劇本は、ざっと読んだところ、完成した映画とはまるで違っていて、撮影中に相当の修正を加えたようである)。
 それにしても、舞台劇の台本が別にあったとは驚きだった。
 既に1998年の映画封切り当時(於日本)、「東宮西宮」は舞台版もあり、警官役は映画同様胡軍が演じ、ヨーロッパで公演を行ったらしい、という噂をウェブ上で目にはしていたものの、真偽がわからぬまま、自分の中で迷宮入りしていたのだった。
 舞台劇版があった、というのは幻じゃなくて本当だったんだと、台本という実物を目の当たりにして、ひしひしと実感した次第である。
 そうとなれば胡軍の生・舞台公演を見てみたかった!という、今となってはどうにもならない願望が募るばかり。
 あー、日本でアンコール公演してくんないかなあ、などと、無理を承知で妄想してみたりする今日この頃である。
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←警官がラーメンを食べるのに使っていた容器はこんなんだった。
 ハルビンで購入。
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by terrarossa | 2004-12-05 09:43 | 映画 | Comments(0)


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